森協ネット記念シンポジウム(温暖化防止チャレンジ)結果の公開(2009年8月1日実行)


森協シンポジウム概要(於渋谷区ふれあい植物センター 2009/8/1)

Ⅰ開会あいさつ等

藤田: 森林環境協働ネットワーク(略称、森協ネット)田中正則企画部会長よりご挨拶申し上げます。

田中: 皆さんこんにちは。ご紹介いただきました田中です。今日は、名古屋、上越市、御殿場市など遠くからの参加者を含めお集まりをいただき、また渋谷のふれあい植物センターを会場としてシンポジウムを開催できますことに誇りを持っております。森協ネットは、今から三年前渋谷区で誕生しました。

森林法上、渋谷区には森林はありませんが、なぜかこのネットワークは、森づくりのボランティアなどで構成されています。代表は小澤普照元林野庁長官がつとめております。毎日のように新聞紙上を賑わせていますのは、生物多様性、里山問題などいろいろありますが、理由は地球環境、特に温暖化問題が深刻になってきていることに対し、森林の存在が重要であるということで、独り政府や所有者や企業だけに任せるわけにはいかないということで、皆さんができることをやるということで、報道もなされていると思います。

日本に森林ボランティアが幾つあるのか、林野庁に問い合わせてみましたところ、10年前までは、270団体だったものが、現在は2,371団体あるとのことです。人数もおよそ20万人前後との推定されております。

一方、我が国の森林整備や持続に携わる従事者は、僅か5万人に減少しました。

ボランティアの活動は活発化していますが、それぞれの思いで活動しているため、ベクトルの方向が異なることも止むを得ません。森協ネットワークは、世界の動きの中でも台頭している、協働すなわちコラボレーションが重要であるとの認識で、問題の共有、知識を出し合うなど広い意味で協働することを目標としてネットワークが誕生しました。会員グループも青森県から島根県まで広がっています。具体的には、秋田県では自己所有山林を社会に役立てようということで、森の幼稚園(風のハーモニー)を運営している会員もおられます。また、レディースネットワーク21のように女性森林専門家の集団や国際炭焼協会や上越市の森林環境実践塾とか、多様なグループで構成され活動しています。
また個人会員では、埼玉県西川林業の物語(筏師の物語)を講談として演じておられる女流講談師の神田山吹さんもおられます。

ということで、この閉塞感の強い林業、あるいはまた環境問題をブレークスルーしたいとの発想でネットワークが立ち上がり、今日のシンポジウムに繋がったということです。

今日のシンポジウムのテーマは、温暖化防止へのチャレンジということになっていますが、行き着く先は、低炭素社会の実現でもあります。この言葉は、昨年(2008年)の洞爺湖サミットにおきまして、我が国が炭素革命の提案を世界に向かって発信したものであります。また2002年のヨハネスブルク・サミットでは、時の首相が「貧困を脱却し、環境を改善して良い社会をつくろう」と提案しています。さらにその10年前の1992年のリオ・サミットにおきましては、当時の宮澤総理のメッセージとして、「50年にわたる日本の緑化活動のノウハウを世界に提供する」伝えたのであります。すなわち、日本の首相が三回も同趣旨のことを述べてきたということです。

このように、温暖化防止、低炭素社会づくりのキーワードとして、森林というものがあり、またこの12月にはコペンハーゲンで、ポスト京都議定書のためのルールづくりがなされます。また来年は、名古屋で国際生物多様性年ということで、里山が議題に上ることになっています。さらに2011年は、国連が定める国際森林年(第二回)です。

本日のシンポジウムを契機に、恐らく森林を軸としていろいろなことが変わっていくのではないかと考えられます。

シンポジウムは、もともとギリシャ・ローマの時代において、ワイン片手に言いたいことを言い、世の中を楽しくしようということだったそうです。

今日はワインは出ませんが、ワインを飲んだ積りで、シンポジウムを楽しんでいただきたいと思います。

藤田:  申し遅れましたが、わたくしは本日、司会進行を務めさせていただきます、藤田と申します。よろしくお願いいたします。

会場には、パネリストの岩倉信弥先生が教授を務めておられる多摩美術大学と福島県三島町の協働プロジェクトの作品を展示しております。休憩の際などにぜひごらんください。

また、アンケート票をお手元にお配りしてございますが、基調講演やディスカッション等についてのご質問や、シンポジウム全体へのご感想等ご記入いただき、お帰りの際に出口でお渡しいただけますようよろしくお願い申し上げます。

Ⅱ 基調講演

藤田: さてそれでは基調講演に入りたいと思います。本日の基調講演は、「究極のグリーンエネルギー時代とは」と題しまして、神奈川工科大学の前学長でいらっしゃいます小口幸成(おぐちこうせい)先生にお願いしております。

小口先生は、1970年に慶應義塾大学の助手に就任され、以来、神奈川工科大学で、前身である幾徳工業大学時代を含め、助教授・教授を歴任し、研究・指導にあたってこられました。2005年には神奈川工科大学の学長に就任され、今年3月に任期満了で退任された後も、名誉教授として活躍されておられます。また、学校法人鷗友学園の理事長としても学校教育の場で広く活躍されていらっしゃいます。

専門は熱物性ということで、熱物性とは、温度や圧力の変化に伴い分子相互の関係が変化し、物質の性質が変化することを研究する学問分野だそうです。

 本日は、エンジニアとしての立場から、また教育者としてのお立場から、温暖化問題への対策についてご講演をいただきます。

 それでは、小口先生、よろしくお願いします。

小口: ご紹介いただきました小口です。

今日は、「究極のグリーンエネルギー時代とは」というお題を小澤先生からいただきましたので、なるべくテーマに沿ってお話したいと思います。 配布資料を用意いたしましたが、(本日の)スライドとは一部異なっていますので、予めご諒承ください。基調講演として90分をいただきましたが、昼食後ですから、眠くなりましたら居眠りしてください。大学でなれていますから、無理に起こしたりいたしません。

先ず、温暖化というのはCO2だけではありません。われわれのいろいろな活動、たとえば電気を使うというようなことを含め、重油の使用料に換算してそこからCO2量を求めたりしますので、必ずしもそれがすべて直接的にCO2ということではありません。

また温暖化防止には私の専門の一つであるフロンやまた森林が果たす役割を正しく知ることも重要でありましょう。ただ誰がこの温暖化を解決していくかというと、当然、あとに続く若い人たちがそれを改善していかなければいけないわけです。もちろん、若い人ばかりでなく世界中の全員一人ひとりが改善していかなければなりません。

私は、アメリカでの研究生活を終わって帰国したころ、丁度ドクターコースの学生になったころですが、工業用動作流体として新しいフロン類で共沸混合物質が提案され、実用化に必要な研究が要望されていました。私は、それ以来、40年以上にわたって実用化のための基礎研究を継続してきましたが、漸く風向きが変わってきました。たとえば、これらの基礎研究の成果が整ってきたことから、南極のオゾンホールについては、オゾン層を破壊していた物質を生産しないように、また使用しないように、IEAの部会で決定することが可能になり、その結果オゾンホールがようやくリカバーされる徴候が現れてきています。こうなるまでには、地球環境の改善のために30年も40年もかかるということです。したがって温暖化を改善するのもそう簡単ではありません。

今後の国際問題を考えても、日本がグローバルに貢献するためには、日本の少子化問題という社会問題が最も大きな問題であると思います。いま4年制大学に入学する若者は年間約61万人。18歳人口が約120万人であるから、50%が大学に進学しています。理工学系の入学生数は、その約25%ですから、約15万人です。最近の出生数が約110万人ですが、2050年には出生数が約70万人になると予想されています。70万人の出生数で、61万人の大学入学者数がとれますか?15万人の理工学進学者数が確保できるでしょうか?という問題があり、温暖化対策についても、科学技術者の継続的貢献が保持できるかどうかが大きな問題となっています。

さて、本日の講演は、先ず「人類に地球の限界を気付かせた経緯」、二番目に「改善に向かわせる努力」、三番目が「グリーンエネルギーの現状」、そして最後に「今後への期待」という順序で話しましょう。

先ず「人類に地球の限界を気付かせた経緯」についてですが、これは「省エネルギーと環境問題」がありました。環境問題は、「多様化した環境問題」、「住環境」、「地域環境(公害)」、「地球環境」などになります。

われわれが普通「地球環境問題」と言っている問題は今後避けて通れない重大な問題なのです。現在地球平均温度が上昇しているという徴候が出ているのです。後からでは対策を講じても間に合わない問題だという受け止め方をしなければならないのです。また、経済成長をしつつ地球環境保全に努める方法としてISO14001もありますが、この実用化に対する問題も出てきています。現在のエネルギー資源が使用できなくなったときの方策があるでしょうか。原子力、あるいは地球に来ていない太陽エネルギーを宇宙から持ってこようという構想もあります。そういう研究も日米の間で進んでいます。また環境問題が人口問題、食糧問題、エネルギー問題等に与える影響が非常に大きいのです。

(地球温暖化について)そういう状態の中で、地球温暖化というのは、後で気が付いても取り返しがつかないというところが重要なのです。これが一番大きい問題であると思います。何で温暖化するのかについてはいろいろな考え方が出されています。しかし、今既に温暖化に向かっていると認識して対策を講じないと遅れを取ることになります。精一杯やったけど駄目だったというのは人間にとってはどうにもならないことで諦めも付くでしょう。しかし、今は化石燃料の大量利用によって温暖化ガスなどが大量に出ている訳ですから、それが気象変動などに影響を与えているということで、平均気温が何℃上がるというようなことは大変重要な問題なのです。例えば、今後100年間に地球の平均気温が約2℃上昇すると、東京の平均気温は今の鹿児島の平均気温になるのです。

(オゾン層破壊について)次にオゾン層の破壊ですが、オゾン層があることによって宇宙からの有害紫外線を生物の生活圏には届かないように食い止めてくれているわけです。したがってオゾン層を守っていかなければならないのですが、その原因はフロン以外にもあります。しかし、フロンにしか規制がないことが問題なのです。1930年代にクルオロフルオロカーボンという高温で化学的に安定な優れた冷媒をデュポン社が開発生産し1939年から実用されていました。それまではアンモニアなど毒性のある有害な冷媒が冷凍空調の熱媒体として使用されていました。フロンには種類によりますが、毒性がほとんどありません。これが第二次世界大戦中に世界中で生産れて広まりました。その結果、化学的にも安定で優れた性質を持っているフロンが成層圏まで上昇し、紫外線によってフロンから分解された塩素Clと成層圏のオゾン(O3)が反応して塩素ラディカルClOを構成し、オゾンO3が酸素O2になってしまい大量のオゾンが破壊され、オゾンホールができるようになったのです。塩素Cl一個で数万個くらいのオゾンがなくなります。

南極にオゾンホールができていることを昭和基地で初めて発見したのですが、その後こうした現象が明らかになりました。

(酸性雨・水質汚濁)それから酸性雨、水質汚濁というような国境を越えた問題でありながら責任を取りにくい問題でありまして、特に、ヨーロッパの北海では船から廃油を垂れ流したり、ヨーロッパの各国を流れているライン川では汚染物質が流されて途中の国で汚染が発生したとしても、流れ下って末端のところで問題がおきたとしても責任を取りようがないのです。また、主として化石燃料の燃焼によって生じる大気汚染物質を含んだ酸性度の高い雨によって、陸水・土壌の酸性化により、植物性プランクトンや、魚類・森林などへ悪影響をもたらします。 酸性度としてはpH5.6以下のものが酸性雨と呼ばれています。厳密には、湿性沈着(雨・霧・雪)、乾性沈着(ガス・エアロゾル)の両者を含んでいます。

(有害廃棄物の処理)越境汚染としては、自然の力では分解されないまま、生物にとって有害な廃棄物を処理するため越境移動することによって、環境が汚染されたり、原住民の健康に被害が及んだりします。

(大気汚染、海洋汚染)大気汚染、海洋汚染は生態系に影響を与えます。汚染物質が雨に溶解して、土に吸収され、植物性プランクトン・生態系に悪影響を与えます。生活排水、産業排水・排気、油、重金属などの汚染物質、環境ホルモン等が流れ込むため、赤潮・青潮が発生したり、大気・海洋が汚染されたり、自然生態系が影響を受けます。海洋の汚染源の7割が河川から流れ込む汚濁物です。

(野生動物の種の減少)別の観点からみると、野生動物が減ってきています。絶滅すると回復できないのです。一つの種がなくなるとバランスが壊れます。このことを米国五大湖の中の島で実験を行ったことがあります。その内容は、島に鹿を放ったのですが、鹿は天敵がいないので繁殖し、鹿は木の皮を食べますから木が枯れました。そこで、オオカミを放ったのですが、オオカミは鹿を食べたので、鹿は減少して木が枯れなくなったのですが、オオカミはすべての鹿を食べないのでオオカミと鹿と木の繁殖のバランスがとれたというものです。バランスが重要なのです。

(熱帯林の減少)熱帯林の減少、これは森林問題の代表的なことかも知れませんが,さらに食料生産,バイオ燃料生産等の人間活動からいろいろな問題が生じてきました。1980年から1990年には毎年154,000km2(日本国土面積の約40%)の熱帯林が減少しています。

(砂漠化)それから砂漠化の問題が起きていますが、私の母校の慶応大学では10年ほど前から中国で植林をして交流しています。小まめに植林をして砂漠化を食い止めようとする試みが、多くの団体で行われています。気温が上昇すると地面から空気中に蒸発する水分が増加します。気温の上昇により、空気中に蒸気が大量に溶け込めるのです。大量の水分を含んだ大気・雲が気圧配置による風の影響で、他の土地・海洋へ運ばれますから、元の土地の水分が減少します。すなわち、砂漠化を防ぐためには、元の土地に雨が降るようにしたいわけです。

(開発途上国の公害問題)一方途上国の公害は日本の二の舞をしているわけです。温暖化の原因を作ったのは経済大国であって、発展途上国のCO2は関係ないという考えのようですが、われわれは、日本の製品に比べて大量のCO2がくっ付いた製品を買っているわけです。そういうことを皆さん意識していますでしょうか。CO2がたくさんくっ付いている製品は例え安くても買わないとしたら、安いだけではなくCO2の少なくなる方法で生産してくると思います。

では発展途上国はどうやって生活を安定させれば良いのかという大きな問題に繋がっています。

さて我が国の地域的公害問題として代表されるのが、明治時代からの足尾銅山事件があります。

そのほか、日本は公害問題や公害訴訟などを経験して世界一の環境改善国になった、ということをこの三月まで東大学長であった小宮山先生が宣伝してくださっているわけでありますけれども、1610年に渡良瀬川の源流地帯に足尾鉱山が見つかって、採掘し、さらに明治期になって、西洋式の採鉱もとりいれ事業が拡大しましたが、そこで有害な金属の垂れ流しが起き、公害事件が発生したわけです。

さて日本ではオリンピックの成功を祈念して準備を開始した1960年代から、21世紀を前にしていろいろなことが議論されるようになりました。すなわち、「21世紀への階段」という本が中曽根康弘科学技術庁長官の時、つまり1960年ですが出版されました。

この時の40年先の展望は,原子力の世の中になる、オートメーション自動化の世の中になる、電子計算機、60歳壮年時代、ガンは滅びていません。成人病もなかなか、内蔵移植は進んできています。自動車、モノレールの時代等々ありますが、東京ー大阪1時間、これはまだです。最後に太陽エネルギー利用というのが入っています。

また,渋谷には春の小川があります。今は暗渠になっていますが、昔は黄色い花をつける河骨(こうほね) が咲いていたので河骨川といわれていました。つまり昔は自然が豊富であったということを念頭において話を進めたいと思います。

ところで環境問題が大きくなってきた流れを掴んでおく必要があります。イギリスの産業革命ということが良くいわれるわけですが、1770年くらいから1830年くらいまでが盛んでして、これによってロンドン近郊の森をはじめ森林を大いに伐採しました。ヨーロッパ人は木を植えるということを知らなかったので、みな牧場になってしまうわけですが、以後スモッグの発生、大洪水が発生しました。スモッグは霧のロンドンの代名詞となり、公害問題が起きました。1852年ロンドンでスモッグが大量に発生し、4千人が死亡しました。

さて温室効果については1896年から1900年頃、アレニウスというスウェーデンの学者が発表したものですが、さらに40年ほどしてカレンダーというイギリスの学者が、二酸化炭素が増加して温暖化が進むという警告を発しました。カレンダーさんという人は、水蒸気の蒸気表というものを作った有名な方で、これも私の専門の一つでありますが、これにより発電の効率化を図りました。

1954年にアメリカのビキニ環礁における水爆実験があり放射能雨など大気汚染が問題になって、1955年アメリカで大気清浄法ができ、また1956年にイギリスでも大気清浄法が制定されました。

その後、人口衛星の打ち上げがあり、人々の関心は大気から宇宙へと向かいました。

1957年から58年には、国際地球観測年ということになり、このころ日本では公害問題が発生しているわけです。

そして、この辺までは自動車の排気ガス、工場からの廃液、排ガスが問題になっていました。

1960年代になりまして、ラブロックというイギリスの学者が、いわゆるガスクロですが、気体を取りこんでその成文を分析していこうというガスクロマトグラフィーという大変高感度の分析装置を開発しまして、大気汚染測定を始めました。

1960年から測定を始めたわけですが、世界中の多くの場所で測定を行い、太平洋上の島でも測定しました。自動車も無い島で測定した結果、フロンが観測されました。

洋上の孤島でフロンが観測されたということは、世界のあらゆる場所でフロンンの影響が出ているのではないかということで衝撃的な出来事であったわけです。

1969年にウ・タント国連事務総長が重要なレポートを発表しました。

ラブロックさんが1970年に大気中のガスクロ分析結果をネーチャー誌に発表しました。すなわち沢山のフロンが大気中にあることがはっきりしたわけです。

そこで、デュポン社がラブロック教授らに依頼して対流圏の中でのフロンの挙動を調べようということになり、1972年に世界中のメーカーを集めて検討を重ねた結果、フロンは対流圏に蓄積されており、その量は北半球に多い、しかし、光化学スモッグの生成に関与しない。植物の成長に影響を与えることはない。というものでした。またフロンは紫外線に対して透明であり、少なくとも高度17km以下では光分解はしない。ということは、オゾン層まで行ってしまうということで、そこで紫外線を受けて分解をして塩素ができる。その塩素が、オゾンO3の酸素を一個取って、Clodという塩素ラディカルを作っては、また塩素に戻るという操作を始めているということが明らかになりました。

そして72年にアメリカでは、スペースシャトルの燃料として、塩素入りのものを使おうとしていたのですが、問題ありということになりました。

同じ年に、「成長の限界」という本がローマクラブから出版されました。私は環境エネルギー工学の講義をしていましたが、この本を学生にも勧めています。この本が世界中に火をつけることになりました。そして翌年,エネルギーショックが起きました。

1974年にオゾン層枯渇説に関する論文がローランド教授とモリナ博士により、ネーチャー誌に掲載されました。

1979年に第二次エネルギー危機が発生しました。

そこで「成長の限界」の発端は何であったかというと、これは1969年のウ・タント国連事務総長の発言です。すなわち「国連加盟国が古くからの係争を差し控え、軍拡競争の抑制、人間環境の改善、人口爆発の回避、および開発努力に必要な力の供与をめざして世界的な協力を開始するために残された年月は、おそらくあと十年しかない。もしもこのような世界的な協力が今後十年間のうちに進展しないならば、私が指摘した問題は驚くべき程度にまで深刻化し、 われわれの制御能力をこえるにいたるであろう」ということです。

「成長の限界」に続いて、第2弾「限界を超えて」が1992年に出版、さらに第3弾「成長の限界」-人類の選択-が、日本では2005年に出版され、第4弾の計画もあるといわれています。

ほかに同じグループによる著書として、「地球のなおし方」が2005年に『「成長の限界からカブ・ヒル村へ』が2007年に出版されました。

1弾の内容は、資源、汚染防止策、農業生産、産児制限、技術政策など対策を行ったとして、人口、工業生産、汚染、食糧などの変化を試算したもので、条件の違いから安定化させた世界モデルを提案しています。

2弾「限界を超えて」では、メドウス氏自身が20年後に再計算したものであるが、基本的には第1弾出版当時と変わっていないこと、さらに汚染が厳しくなっていると結論しています。

3弾の「人類の選択」の第5章「オゾン層の物語に学ぶ:限界を超えてから引き返す知恵」が温暖化防止改善の参考になると紹介しています。

1979年10月にはまだオゾンホールはできていませんが、2007年10月の映像では、オゾンホールは南極大陸くらいの大きさになっています。

その後塩素を多く含んだフロンの使用と生産が中止され、CFC-11、CFC-12、CFC-113などの大気中濃度が減少し、そこでオゾンホールも南極大陸の2倍の面積で一応止まっているという感じです。スライドの色の違いはオゾンの濃度の違いを表しています。

さて、1939年デュポン社からアンモニアに替わる冷媒としてフッ素系炭化水素(商品名フレオン)が提案・実用化されたわけですが、1966年から私(注、小口幸成氏)が混合物の熱物性測定も可能な高精度実験装置を開発いたしまして、日本から多くのデータが発信され、冷凍空調工業界でフロンが使用できなくなってもそれにかわる代替フロンを使用して、設計・製造が可能になりまして、IEAを中心にようやく国際合意ができたわけであります。

私は、フッ素冷媒の研究を慶応義塾大学で13年間行い、その後、慶應義塾大学の後継者達が研究を継続し、神奈川工科大学でも研究を行い40年近い研究の賜と思っています。

現在は、主としてオゾン層を破壊しない冷媒の開発を目的とした新冷媒、混合冷媒が開発されており、温暖化係数の小さな冷媒が新たに開発されています。

冷媒を大気中に放出しなければ全く問題はないのですが、凍機・空調機の修理における冷媒充填時における残留冷媒の大気開放や、カーエアコンらの冷媒漏れなどにより、気負荷が大きくなっています。

EUでは主としてカーエアコン用フロン系冷媒の規制が行われるようになり、ドイツではCO2エアコンに切り替える方針を固め、米国、日本では新冷媒を検討中です。

フロンは温暖化係数がCO2の約1万倍といわれていますから、全体の量が少なくても温暖化には極めて大きな影響があるわけです。そのためEUでは強い関心を持っています。

一方,「改善に向かわせる努力」は、1990年以降、IPCCにより、国際的な理解の促進が図られています。

温暖化にはいろいろな要因がありますが、これらを認めた上で対応しなければ取り返しがつかない状況になってからでは,対応できないことが理解されてきています。

また,中国,インド,その他発展途上国は,CO2を多く含んだ製品を輸出しているといえます。製品にはCO2が付着していると考える時代が来るでしょう。

温室効果ガスの特徴,大気中の二酸化炭素濃度の推移,同じく経年変化,地球及び日本の年平均気温の変化などについてはスライドに示す通りです。

また、主要国のCO2排出割合では、国としては米、中が高く、一人当たり排出量では、米国が飛びぬけて高く、露、日、独、英が続いています。

石炭、石油など燃料別の世界のCO2排出量や日本の排出量の実態すなわち部門別や家庭からの排出の内訳、きゅうり1kgあたりの生産投入エネルギー量の内訳などについては図表を参照してください。

さてここで、温暖化に作用する熱量とは何かについて考えてみましょう。

すべてのエネルギーは保存されます。この法則により、最終的にはすべてのエネルギーは温暖化の熱量に変換されます。したがって大気への放熱熱量は、太陽熱以外に、石油などの燃焼熱量、自動車などの運動から変換された熱量、食糧から動物が取得した熱量などすべの熱量ということになります。

自然エネルギーを利用する場合の注意点を風力発電の例でお話しますと、風車を使用しない自然として、たとえば10kWのエネルギーがあるとすると、太陽エネルギーは風を起こしたり、森林を育てたり、山や森林からの水分の蒸発、海水の蒸発を行ったりといろいろなことをしています。人間が何もしなくても地球に降り注いでいます。ここで、10kWのうち5kWを風車として使ったとして、さらに2kWを電気に変えるとします。これは最終的には熱に変わってまた地球に作用します。ですから10kWの自然エネルギーの総量は変わりませんが、そのうちの一部を変換して、つまり電気に変えて仕事をしてもらうというふうに考えるわけです。

ところで、風車は風向きが変わったり、力が変わったりして、ベアリングや歯車が壊れたりします。これについて日本の技術が進んでおり、歯車の機能をベアリングで代替することも可能です。ただし、台風の力をカバーできません。秒速25mで停止させることになっています。ヨーロッパも同様です。ということで台風のエネルギーすべてを利用することはなかなか難しいことです。

最近の動向としては,日本カーボンアクションプラットフォーム(JCAP)が発足しました。本日は環境省でこの仕事を担当しておられる塚本先生がお見えですが、真正面から取り組んでいらっしゃいます。

去年第一回の会議があり,今年は日本中まわって十一か所で説明会を行い,CO2いくらで買いますよというお話を後でお伺いできると思います。

それから先週ですが「バイオ・フューエル・ワールド2009」というのがパシフィコ横浜で開催され、ここで日本のバイオ燃料の現状が報告されました。その一端を今日はお話したい。自動車用のバイオ燃料はどこまで来ているかといいますと、これはエタノールを混ぜるところまで来ています。日本はガソリンエンジンの場合、エタノール3%で、E3といっています。この程度ならエンジンの耐久性としては、まだ安全です。中国、オーストラリア、カナダはE5からE10、ブラジル、パラグワイはE20から25、アメリカ、ドイツ、フランス、ブラジル、タイはもうE85に行こうとしています。

つまり100%、E100を狙っています。2010年から2020年にはE85になるという方針で世界中が動いています。

バイオディーゼルは、シンガポールではカメリナのバイオディーゼル燃料が生産されています。

自動車燃料として難しいのは、どうしても液体燃料が必要になると言うことです。今世界中で約10億台の自動車が走っています。トヨタがハイブリッド車を170万台販売したそうですが、0.2%なのです。技術はあっても世界中中古車が走っている現状においては、液体燃料が必要ですから、バイオ燃料の開発が必要です。そこで緑が重要になります。日本の車両もE10までは、そのままで使えると言われています。神奈川工大では大学のバスにE10を使っています。

最近FFV車が良く売れていますが、これはガソリンでもE100でも使えるということです。

さてバイオディーゼルですが、ディーゼルエンジンというのはもともと落花生の油を燃料にして使うことをドイツ人のディーゼルさんが考えたものであります。
マン社とベンツ社が開発の研究費を提供したのですが,ディーゼルの死後、ベンツ社などは自分の社名をエンジン名にしようとしましたが、奥さんがエンジン開発に苦労したご主人の名を残して欲しいと嘆願してディーゼルエンジンという名が残ったという逸話があります。

原理としては、断熱圧縮による高温で燃焼できる燃料が使えるということです。ガソリンは揮発性なので逆に温度を適当なところまで下げる必要があります。ではなぜ落花生がガソリンに変わったかというと、当時ルーマニアで油田が発見されたことで石油が使われることになりました。したがって、ディーゼルエンジンはバイオ燃料用に開発されたのです。

燃料がバイオであればあるほど、植林が必要になります。もっと面積が欲しいということになります。ただし、今のところはバイオディーゼルにはいろいろな物質が混入しており燃料フィルター、インジェクションなどの目詰まりが起きたりするので最適とは言えないところがあります。

一方、現在のディーゼルエンジンは改良されてきていて、吸い込んだ空気より排気の方がきれいになっていると自慢されています。

いすゞ自動車等で分析した結果です。

おかしなもので、問題が提起されれば技術的な解決が行われるという循環が相変わらず行われています。

ということでどしどし改善提案、問題提案をすることが重要です。
さらに私が関心を持っているのが、航空機用のバイオ燃料の問題です。

車はガソリンスタンドで補給できますが航空機は到着地で用意してくれないと困るわけです。代々木公園は、昔は代々木練兵場といって、滑走路があり、日本ではじめて飛行機が飛んだところです。日本初飛行の碑が建っています。

ボーイング社の航空機用バイオ燃料プロジェクトには、4つの航空会社、4つの航空機エンジンメーカが参加しました。

航空機用バイオ燃料には、第一世代バイオ燃料、第二世代バイオ燃料があります。第一世代では、とうもろこし、大豆、サトウキビなどの食料を原料としたエタノールが使われましたが、第二世代ではカメリナ、ジャトロフア、藻類など非食用植物から生成されました。

これらの航空機燃料は50%がケロシンつまり灯油のようなもので、残りの分にエタノールのようなものを使った結果、性能には問題はなかったと報告されています。

今後はバイオジェット燃料の実用化に向けて課題が検討されます。

次に木炭バスですが、フランスで最初に考えられました。日本では大正末から研究が開始され、昭和十年代にはバス・トラックに使用されました。水分を含ませた木炭を不完全燃焼させ、COと水の水性ガス反応によって、燃焼します。現在は神奈川中央交通に三太号というのがあります。戦後のNHK子ども向け番組に「おらあ三太だ」というのがありました。その舞台が厚木から山中湖に向かう途中の道志村であったというところから、バスの名前として命名されました。これを大学の学園祭の時に持ってきて走らせていただいていますが、手入れをしなければいけませんが、現在も走っています。

今後への期待として、

CO2削減量の試算、②省エネルギー、代替エネルギー源の準備、③「CO2」と「熱量」について「地球の限界」はいくらか、④無駄を廃した愉快な暮らし方の模索、⑤経済効果に温暖化寄与度を併せて検討する、⑥日本の人口、世界の人口の最適値を検討、⑦少子化を食い止めるための対策、⑧日本が必要とする専門家の分布を試算(技術者、経済学者、文学者など)

を明らかにしていくことです。

CO2削減目標をスライドにあるように各都道府県が宣言しています。目標年度まで目標値を達成できるか、近く成果が分かります。2010年を目標にしている都道府県が最も多いので、来年度の状況で今後の対策が分かるでしょう。同様に、自然エネルギー目標もスライドにあるように各都道府県から提案されています。省エネルギーセンターもスマートライフを提案して、省エネナビIT対応型構想を推奨していました。

次にCO2を森林に吸収させるという話があります。神奈川工大で、3年次の私のセミナーの学生と研究しました。

人生80年として、一人の人間が一生の間に排出するCO2を徹底的に試算し、その全CO2を杉の木に吸収させるとして、非常に細かく分析したところ一人当たり約200本の木を育て続ける必要があるという結論が出ました。200本の杉の木を植える庭をお持ちですか?自分の努力でできる範囲にCO2を削減するとして、どういう生活が可能か、学生と考えたものです。最も大きなCO2の排出量は、自家用車通勤と住宅建設であり、生活改善によって削減可能な方策を策定できると考えられます。

さて、今後への期待ということになりますが、CO2と熱量の地球への限界というものを知って次の世代に受け渡さなければいけない。

そこでCO2の削減目標を都道府県で出していますが、渋谷区も是非出すべきだと思います。特に若者の街と言われているところで、削減計画を決定し、渋谷の街に公開して若者にアピールすることは、将来に向けた取り組みとして大変重要です。

各都道府県のCO2の削減計画ですが、目標年が2010年というのもあって来年にその結果がどう出るか楽しいですね。神奈川県はゼロパーセント、福岡県が詳細に提案していて素晴らしいです。家庭一世帯当たりいくら、事業所、自動車一台当たりいくらという具合に具体的です。

自然エネルギーについても都道府県の目標が出されています。

香川県が、風力、太陽光などに分けて目標を示しています。

次は省エネルギーセンターで提案していたスマートライフですが、家庭から地域へ、地域から国全体へと、省エネナビIT型構想でエネルギー活用の全体把握構想がありました。

問題提起ですが、これまで何か問題が起きると、科学技術でそれを解決してきました。現在の環境問題も科学技術で解決しようとしています。それが正しい判断か、他に方法があるか考えれば、やはり科学技術によって新たな展開を期待することになるのではないでしょうか?

地球環境問題、エネルギー問題を引き起こしたのは、技術開発によるのですから、この難題を再び科学技術で解決できるでしょうか?また解決していかなければならないのですが、21世紀の科学技術はどうなるかという議論も必要でありますし、また環境、資源、人口、食糧、工業生産のバランスを取りながら、どんな繁栄が考えられるでしょうか。そこで大きな問題は日本人の出生数です。現在、丙午当時より出生数は少なくなっていて、予想図で見ると、2050年で70万人以下に低下すると予想されています。

このスライドは、日本の大学の中で、学部別の学生総数分布を示していますが、社会科学が一番多く、次が人文科学で、その後に工学、理学と続いています。

果たして科学技術で地球改善が果たせるか。男女共同参画社会といって法律が施行されて今年は10周年ですが、2008年度の入学者数は、男女別でみると、社会科学は男性が圧倒的に多い。工学部系より商学部系の方が、男性数が多いのです。

女性は人文科学系が多いのですが、社会科学系も多い。70万人の時代になると女性に助けてもらわなくては駄目なのですが、理工系には女性が圧倒的に少ないのです。

なお、女性は研究者を希望する人が多いのですが、研究開発すなわちエンジニアを目指してもらいたいと願っています。

神奈川工科大学は「Stop the CO2」を旗印に多くの学生が何かをしたいと集まってきていますが、これを「Save the Earth」とすることが肝要です。しかもこれを若者がやることが肝心なのです。ということで若者の街渋谷区が温暖化防止計画を作り、カーボンオフセットパスポートを実現していただきたい。

既にある渋谷区基本構想の中に位置づけるべきではないかと思います。

「後世への最大遺物」という内村鑑三の書の中の一節を紹介いたします。

「しかるに今われわれは世界というこの学校を去りまするときに、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その点からいうとやはり私には千載青史に列するを得んという望みが残っている。私は何かこの地球にMementoを置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして逝きたいです。この世の中にわれわれのMementoを遺して逝きたいです。有名なる天文学者のハーシャルが二十歳ばかりのときに彼の友人に語って『わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか』というた。

実に美しい青年の希望ではありませんか。『この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして往こうではないか』と。

こういうことをこの本には書いてあります。是非われわれは、少しずつでも努力してこの環境を良くするため皆さんと協力して進んでまいりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。(拍手)


藤田: 小口先生どうもありがとうございました。このあと休憩をはさみましてパネルディスカッションに入りたいと思います。

(休憩後再開)


Ⅲ パネルディスカッション

藤田: それではパネルディスカッションを開始します。先ずパネリストをご紹介します。

○本日の基調講演講師の小口先生です。

○渋谷区長の桑原敏武先生です。

本会場区のふれあい植物センターも区の施設で開場五周年とのことです。

本日は渋谷区の取り組みについてお話を伺えると聞いております。

○岩倉先生は、多摩美術大学を卒業されたあと、本田技研工業に入社され、デザイナーとしてだけでなく、経営的な立場からも活躍され、ホンダのデザインマネジメントを築き上げてこられました。2004年には経営学の博士号も取得され、現在は、多摩美術大学教授として教鞭を取っておられます。

 本日の会場に展示されています桐材による作品は学生さんと制作されたものです。

○塚本愛子様は、高知県職員として森林・林業の行政に活躍され、その当時、全国の都道府県の女性林業職員のネットワーク作りに尽力され、「豊かな森林づくりのためのレディースネットワーク21」の初代会長として活躍されました。

今年4月から環境省で地球温暖化対策を市場メカニズム室でカーボンオフセットについて担当されています。

○最後は、本ネットワークの小澤代表。林野庁長官を平成2年から4年までつとめたあと、森林塾や、森林環境協働ネットワークを立ち上げるなど、現在も市民レベルでの森林育成・環境保全等の活動に尽力。林野庁時代から、技術系行政官として、イノベーションやベンチャー的な考え方を重視して政策展開を行い、退官後には博士号を取得するなどあくなき探究心で活動。本日も、元行政官として、エンジニアとして、そして市民として様々な発言が期待されます。

  

では、温暖化防止に関連してそれぞれ取り組まれていることについて、自己紹介を交えながら話頂きたいと思います。

トップバッターとして桑原区長さんには、渋谷区政での取組みなどのご紹介をお願いします。

○桑原: 桑原です。

温暖化問題を区の権限が及ぶ範囲からみると、区の仕事は、事業所としての側面、また一方では製造業としての即面を持っています。また運輸の面もあります。区民としての関わりから考えれば家庭部門の問題もあります。今後の対策という点では家庭部門の啓発が中心になるかと思います。具体的には、様々な助成、様々な仕掛けを作って行くことを考えており、これからはそれが動き出していくことになります。

事業所としての側面からみますと、所有する各施設をどう運営すればよいかということになります。一つひとつ言及する時間はありませんが、太陽熱利用、省エネの実行が必要です。しかし、時に無力感を覚えるのは、国際面でも国内でも簡単に足並みがそろわないということがあります。小口先生は基調講演では、科学技術で問題を解決していくといわれました。

また、小澤先生と話をしたことがありますが、木の植生(森林)の問題は区の範囲を超える話であり、渋谷区では他の自治体と相補っていくことを考えています。具体的には飯田市との連携があります。植生を強化するため区民のエネルギーの結集が必要であり、また植生の強化が温暖化防止に繋がれば良いと考えます。小口先生から省エネの分野別目標値の設定について言及がありましたが、区としては東京電力の協力も得ながら進めて参りたいと考えています。

一方、渋谷区だけでは如何ともしがたいところもあります。国や都の政策の推進が必要です。たとえば天然芝を植えろという話がありますが、二の足を踏んでしまうところもあります。思い付きではなく、先々の管理をも考えた政策が必要です。緑化については、屋上緑化だけではなく、グリーンウォールも有効と考えます。既に国学院大学や常盤松小など、壁面緑化は始まっております。個々の動きが全体の動きにつながるようご協力をお願いしておきたいと思います。

藤田: 基調講演の中で、人生80年として、一人のCO2排出量を植林による吸収で賄うには、一人200本の木を育て続ける必要があるとのお話がありましたが、このことともつながるお話でありがとうございました。

次に岩倉先生に展示作品の紹介も含めてお願いします。

○岩倉: ご紹介いただきました渋谷区住民の岩倉です。先ほどの小口先生のお話、懺悔の気持ちで拝聴させて頂きました。と申しますのも、私、学校を卒業して35年間、自動車企業の中で仕事をしてきまして、たくさんのCO2を撒き散らしてきたという反省もあります。そんな訳で、退職してからこのかた10年、母校の多摩美術大学で、若い芽を育てることに専心してきました。

実は私、木の国、和歌山県の出身で、50年ほど前、日本に「デザイン」という言葉が使われ始めた頃、どこに行ったら「デザイン」の勉強ができるか、やはりそれは東京だ、しかも東京なら渋谷だということで、渋谷という街にたむろするようになりました。そして今も、ドキドキワクワクしながら住んでいます。

和歌山での中学時代の同級生で、つい先ごろまで日本政策投資銀行の総裁をしていた元大蔵省事務次官の小村武氏が、「うまい地鶏と蕎麦を食べさせるから、一緒に三島に行ってくれないか」ということで、会津の奥只見の、昔の日本がそのまま残っているようなところに連れて行かれ、そこで桐と出会いました。そうした縁で、小澤先生ともお会いする機会が得られたわけです。

「縁」とは「出会い」のこと、出会いによって「何か」が生まれることを縁起と言います。私にとっては桐との出会いでした。

科学文明の寵児である自動車の開発に携わってきた私が、全く異質の世界と出会ったわけです。自動車と桐、この異質のものが出会い、共通の目標を持って何かを作る、結果、新しいものが創出されるのではないかとの期待がありました。

私の専門である「デザイン」の話しをします。皆さんは「デザイン」という言葉を、日常語として、デザインが良いとか悪いとかという具合に使っておられるかと思いますが、デザイン(design)は「de」と「sign」が合わさっていて、deは「去る、離れる」ということ、signは自分が出す「サイン(意思)」ということで、すなわちデザインとは、自分の意思を外(相手)に向かって出すということなのです。

また別の角度から言えば、designの語源はラテン語のdesignare。「行為に先立って何(what)をどのように(how)するかを考える」という意味で、まさしく本日のテーマ、「温暖化防止」というように、共通目標を持って話し合うことこそがデザインという行為、ということになります。

さて、デザインと言ってもいろいろでして、私の学校でも、グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、テキスタイルデザイン、情報デザイン、環境デザイン、コミュニケーションデザインと6つの学科に分かれています。

また、概念として一般的に言われているところでは、ユニバーサルデザイン、バリアフリーデザイン、サステイナブルデザイン、エコデザイン、エシカルデザインなどさまざまです。

ユニバーサルとは「宇宙」のことです。千年以上も前、すでに、弘法大師・空海の書き物の中に出てきます。「宇」とは空間、「宙」とは時間のこと、すなわち、森羅万象、生きとし生きるもの全てにわたって考えるということで、日本人のもっとも得意とするところです。

最近はエコばやりです。燃費がよいことや経済的(economy)な意味で使われていますが、本来エコは、エコロジー(ecology)で生態学からきています。私としてはこのエコと言うはやり言葉を、Earth(地球)、Ecology(生態系)、Environment(環境)、Economy(経済)、Energy(資源)、Ethical(倫理) のEと、Conscious(気づき・意識)のCoをつなげて、E-Coと呼ぶことにしました。「6つのEを常に意識して生活する」という風に捉えています。

その意味でデザインは、芸術・科学・経済・情報をつなぐ役割を持っていると言えます。別の言い方をすると、これら4つを駆使して「魅力」を作る行為と考えても良いでしょう。そのためには常に、不思議がる心(?)、感動する心(!)を持つことが大切です。

また、デザインはどういう行為かというと、目的(what)を明確にすること、ここで言えば、温暖化防止という目的を、どのように(how)して実現するか、何故(why)やるのかということを明確にし、しかも、ものにすることなのです。

これまで、エネルギーを消費することばかりやってきた私ですが、少し角度を変えてやってみようということで、学生とともに、夜行バスで自然のままの異質との出会いを求め、そういうところに出かけ、感動しました。そして桐との格闘が始ったわけです。

毎年、優秀作品を町営の「創造の館」や会津若松のギャラリーで展示しています。地図を見ると三島町の輪郭は、私にはビーナス(美の象徴)の形に見えました。渋谷区はどんな形に見えるでしょうか。

学生の作品を紹介します。通常桐は真ん中の部分を使いません。学生たちは、その使われない真ん中を使って作ることを考えました。三島ではこれまで、タンスしか作らない、タンスしか考えていなかったようです。これを変えていこうということで、怪我をしない子供用のおもちゃ、お土産用のお酒のパッケージなどを作ってみました。

本日はそれらの中から、5つの作品を展示させてもらいました。今回参加の学生に、自己紹介と作品の紹介をしてもらいます。



左から、「お酒のギフトボックス」、「かばん」、「ゆりかご」



左 「クッション」、右 「傘」

①多摩美術大学生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻4年生の佐々木健五です。三島町は山林を買って桐を栽培しています。都会と違うやさしさがある土地だと思います。「お酒のギフトボックス」を制作しました。

②同じく、「ゆりかご」のデザインをしました片岡弘明です。桐の持つ肌触りに着目しました。

③同じく、「クッション」のデザインをしました酒井嵩人です。岐阜県の田舎自慢ができるところで育ちましたが、三島町はさらに何もないところですが、都会にないものがいっぱいあるところでした。私の作品は三島桐の良さを活かしたもので、お酒のギフトボックスと同様、端材を使いました。

④同じく、「傘」をデザインしました岩崎若菜です。三島は四季を感じる町です。そこで、この傘のイメージが生まれました。

⑤今日は都合があって参加しておりませんが、同じく、鈴木祥子がデザインしました「かばん」を展示しています。併せてご覧ください。

小口先生の先程のお話に、一つお返しをしたいと思います。私が十年前に多摩美に着任した当時、プロダクトデザイン科には、女子は1割もいませんでした。が、その後の努力が実り、今は、35パーセントが女子の学生に、また、一人もいなかった女先生も6人になりました。私は、プロダクトデザインは「生活を心豊かにするもの」としています。世の中、男女は半々ですから…

これまでプロダクトデザインは男がやるもの、という伝統的な考え方がありましたが、女子の進出で教室の雰囲気が変わり、創造活動が豊かになってきたということを報告させて頂いて、私の話は終わりたいと思います。ありがとうございました。

藤田: 岩倉先生、多摩美大の皆様有り難うございました。育てた木を使うということで、木を使った後に、また新しい林を育てて行くという取り組みを聞かせていただきました。

次ぎに、塚本さんから環境省の取り組みについてお話を伺いたいと思います。

環境省では林野庁と連携して温暖化防止の活動についても取り組みをされているとお聞きしております。


塚本: 環境省が進めております市場メカニズムを通じた温暖化防止対策についてお話しします。

小口先生のお話にもありましたが、九十年比の6パーセントの削減をわが国が京都議定書の中で背負っていますが、残念ながら現実は90年比では、9パーセント、排出量が増加しています。

したがって削減が困難な状況にあることを押さえておいていただきたい。その中で排出量取引等を国の方で導入していきたいとしていたがそこまで進んでおりません。

それぞれの企業に枠を割り当て、強制的に削減させるという方法ではなく、自発的に削減に努めるカーボンオフセットの手法を進めています。私の担当もカーボンオフセットであります。

ではカーボンオフセットとは何か。先ず自分がどの程度CO2を排出しているかについて「見える化」し、どこかで削減した排出量とオフセットつまり相殺すれば良いと思われる方もおられるかと思いますが、本当のカーボンオフセットはそうではありません。自分の排出量を「見える化」して認識するところまでは良いわけですが、さらにこれを自分の努力でどれだけ削減できるかということを知っていただくことが、重要な点です。そして努力をしてもなお削減できない排出量を自分以外の削減量や吸収量とオフセットするというのがカーボンオフセットということになります。

日本の場合、排出削減量や吸収量がクレジットとして自由に手に入るシステムはありません。そうするとお金が海外に流れて行ってしまう。そこで昨年の十一月に環境省のJ-VERが始まりました。これは国内で行われている排出削減とか森林吸収プロジェクトから生み出されている削減量や吸収量を国がクレジットとして認証し、これを市場の中で流通させ、カーボンオフセットとして使われるようにするという取り組みです。

現在プロジェクトとして登録されているものが4件あります。一件は木質バイオマスを石炭の代替として使用し排出削減を図るもので高知県で実行するプロジェクトです。これはクレジットが発行され新宿ルミネの職員の通勤に際して発生するカーボンとオフセットされています。

後の3件は、クレジットは発行されていませんが、森林の吸収に関わるもので、高知県、北海道下川町、住友林業が行うプロジェクトです。

今後は森林吸収に限らず、太陽光、風力等自然エネルギー等に広げていく準備を進めているところです。

このような一人一人の削減行動がお金の流れも変えて行くことになります。


藤田: 最後に小澤森協ネット代表に林野庁経験も含めての取り組みについておききしたいと思います。

小澤: 役所を辞めて既に十七年になります。辞めてからは専ら市民層の方々とのお付き合いが多くなり、考え方も行政官時代とは少し違ってきております。この辺も含め若干申し上げたいと思います。

小口先生のお話の中で、大来佐武郎先生や山本良一先生のお名前が出て参りましたが、この先生方には私もお世話になり、また啓発させていただきました。大来佐武郎先生とは92年のリオ・サミットでご一緒に行動させていただきましたが、林野庁としては国際面で大変支援していただいた素晴らしい先生でありました。

また、林野庁をリタイア後、環境省の依頼で「環の国暮らし会議」のメンバーに指名されましたが、そこで出会ったのが山本良一先生です。省エネ電気製品などについていろいろと勉強させていただきました。

さて、6年ほど前になりますが、環の国の会議が京都で開催され、このとき京都の山田知事さんに出会うことになりました。京都の森の持続、活性化について知恵は無いかとのお話でした。知事さんが先頭に立たれれば世界中から応援団が集まって来ますと申しました。お互いに人間として信頼関係が大切なので、その後、私がカナダに出かけていき、国際モデルフォレストネットワークの事務局長のカナダ人を京都に連れてきました。それが京都モデルフォレスト運動の始まりとなりました。

要するに、知事さんとか、区長さんのような地域のリーダーが先頭に立たれれば画期的なことに繋がるということであります。

今年の十二月には京都で地銀サミットが開かれるところまで来ました。

一方、モデルフォレスト運動は大変素晴らしい運動ですが、京都の場合三十四万ヘクタールの府内すべての森林を対象としておりますように、大変大規模な運動で、現実問題としてはどこでも簡単に取り組めるというものではありませんので、並行的に「森の駅」のネットワークをつくろうではないかということで、今日は地域交流センターの岡本さんも見えていますが、「森の駅」についての検討会も現在続けられています。

私としては、このふれあい植物センターも「森の駅」に立候補していただいたら良いと思っているところであります。

日本に多くの森の駅ができますと情報交流も人材育成などもやり易くなりますので、本日は温暖化防止のマスタープランの策定など渋谷の区長さんに対する要望が多いようですが、私からも是非、街中森の駅としての立ち上げなどをお願いしたいと思います。

ところで、これからの CO2削減などの実現につきまして極めて重要なのは、モデルフォレスト運動のような地域協働運動と同時に地域間の連携、地域間協働運動が必要です。

今、渋谷区は長野県飯田市と交流を進めておられるということで、これは大変素晴らしいのでどんどんやっていただければ良いと思いますが、手元に飯田市のデータがありませんので、郷里の上越市のことでお話をしますと、人口が21万人、渋谷区も人口は同じくらい、ところが上越市は自然に溢れ、森林が5万ヘクタールもあります。これは東京都の島嶼部を除く森林5万ヘクタールと同じというわけです。東京都は1千2百万人で5万ヘクタールの森林保全、上越市は21万人で5万ヘクタールの森林管理、素朴な考えですが、都会が地方に応援に行く時代が来ているということです。

別の表現をすれば、東京は民力が高い、つまり、経済力などが高い。地方は森林力あるいは自然力が高い。民力が高いところと自然力が高いところが何らかの共通目標つまりゴールを設定し、戦略を練ることが大切です。更に一言、今の日本は何事につけても、傍観者が増えすぎたのではないかと思います。傍観者を減らし、活動、行動する人を増やして行こうということで今後も頑張って参りたいと思います。


藤田: 私も小澤代表から京都モデルフォレストのお話を聞きして関心を高めました。

その中で多くの大学が参加し、得意な分野で森林整備などに貢献していくということで環が広がって行くことについて興味がわきます。

地域連携が大切ということでありますが、折角参加されている、上越市の惣塚課長さん一言お願いします。


惣塚: 突然のご指名ですが、上越市の林業水産課長をしています。地球を守るには二百本の杉の木を育て続ける必要があるという小口先生のお話が心に響きました。

私のところは10万ヘクタールの市域面積、森林原野が5万ヘクタール、また地球環境都市宣言も行っています。川崎市と防災関係の交流も行っていますが、地球環境学校その他受け入れ施設も沢山ありますので都会との交流も可能です。渋谷区との交流もさせていただければ幸いです。

藤田: 会場から質問などがあればお受けします。

会場 小林さんから:最近渋谷区と飯田市の交流に参加してきました。炭焼きの見学や渋谷区の児童のドングリを植えたところ、農家民宿などを見学しました。そこでこのような地域活動や交流を上手に進めるコツについて小澤先生にお尋ねします。

小澤: 質問をいただき光栄です。私もいろいろ考えてみていますが、大事なのは一つには地域の個性を尊重することでしようか。京都のモデルフォレストの例ですが、世界でやっているからというだけでは、皆さん乗って参りません。そこでブレーンストーミングをやりまして、それぞれカードにやりたいことを書いてもらいました。沢山のカードを一緒に見ながら議論しているうちに誰かが知恵をだします。そのうち「京都流でやっていいんですか」という言葉がでました。そこでいいました。ほら答えが出たじゃないですかと。

「京都モデルフォレストは京都スタイルで行こう」でまとまりました。京都の場合、具体的には、森林について何かプロジェクトを行う場合に、基本としてボランティアグループ、企業、大学の三者が連携します。一方行政の責任者である府は森林条例を作りました。内容は、不在地主とボランティア団体が森林整備協定を結ぶことができるというものです。これらが連携することで新しい活動が発展します。地域間交流の場合も双方が一堂に会して、ブレーンストーミングを行うなどお互いに納得できる個性のある方向性を見いだしていただきたいと思います。

藤田: 大学、企業などの連携の話が出て参りましたが、小口先生、大学から見て連携についてどのように考えておられるかお伺いしたいのですが。


小口: 大学はフリーな存在でいろいろなことができます。特に京都の場合、古い大学から新しい大学までとバラエティに富んでいます。さて,京都府の方針と京都市の方針がちょっと違うという場合も出てくることがあるでしょう。東京でも同じと思います。CO2の削減についても、そこに住んでいる人が一人ひとり考える必要があるが、その際、大学が役に立つことになります。私の大学は、厚木市にありますが、ここに5大学があります。この5大学が協力して市と包括協定を結びました。市は海外とも交流がありますので大学がこれを通じて交流を行うということができます。したがって,この協定は、市民への教育による単位認定、小学校・中学校への教員・学生派遣など、新しい大学ができたということにもなります。市民でも学生でも単位をとることもできます。たとえば、緑についての講座を設け、自分が受けたい授業が受けられる。神奈川工大は四学部十学科ありますが、学部をこえて授業を受け単位取得ができる。これは履歴書に書けるから就職に際してもプラスになる。大学間の場合も小田急沿線のエリアで首都圏西部大学としてネットワーク化している。ですから京都でもほかの地域でも大学が連携すれば、自分の大学にはいない専門の先生がおられるということがあり、面白い講座ができたりするから、新たな交流、新たな研究が生まれることになります。日本全国大学ブレンドというものも分野ごとには可能性が出てきました。要するに,研究は自由な環境から新しい真実を生み出すことができるので、教育研究を使命とする大学はフリーな性格があるわけで、国立大学も国立大学法人となり、変化しているので、活用することを考えた方が良いと思います。

(桑原区長退席)

藤田:  ありがとうございます。

さて当初の設定時刻を過ぎていますが、皆様差し支えなければ少し延長して進めたいと思います。

(会場から、参加の染谷氏から発言):渋谷区上原中学の同級生である関田さんが東京から御殿場に15年前に富士山を綺麗にするんだということで引っ越され、間伐材などを活用して活動しておられるので紹介したいと思います。

関田: 日本能率協会時代に50周年記念事業で御殿場に森づくりを行った際、小澤さんと知り合い、その後、森林塾に入れてもらいました。リタイア後、御殿場で森の番人をしようと思い、引っ越しましたところ、台風で被害木が出まして、これで鉢を作り、それに苗木を植えて森くりをすることを始め、その後NPO法人を結成し、今日に至っているわけであります。 現在、間伐材つまり、林地残材を活用して森づくりや木工作を行ったりという活動をしております。どうぞ宜しくお願いします。

藤田: いろいろな連携が広がっているという良いお話をお伺いできありがとうございました。

では、最後に皆様から一言ずつお願いします。

小口: 今日はいろいろなお話をさせていただく機会が得られありがとうございました。昔は消し壺というものがあって、残っている炭火などを翌日に使用するために保存していました。夜寝る時に火鉢の灰を火種にかけて、翌朝ほじるとちゃんとそこに火がある、昔はああいう生活ができた。防火用水も各家にあって、雨水利用ができました。ボウフラがわくので金魚を入れたりしました。夏の暑いときに外に水をまくのは、防火用水の水か、ぞうきんがけの水でした。庭には野菜を植えて、米のとぎ汁などを与えました。今は貴重な水道の水をまいている。江戸時代の日本の人口は約3千万人、40年後の2050年の出生数予想では年間50万人ですから、明治初年当時と同じです。そういう中で、今、理系に進学しないで、経済・商学部に進む人が最も多くなってしまって残念な思いもある。私は昭和15年の生まれ、われわれは何を欲しがって、今のような時代にしてしまったのか、このことを反省しています。 私の専門は熱力学分野で、応用分野としては発電、冷凍空調、地球環境、機械工学など、多くの分野にわたっています。最近、若い学生たちから夢のある話がでなくなっている。ロケットを飛ばしてしまったら次何やるのかという話があるのかも知れない。神奈川工大ではNASA,JAXAや日本大学などとの共同でロケットを打ち上げる予定です。宇宙に太陽電池のついたロープ(テザー)を打ち上げると、地球は一つの磁石ですからこのテザーに磁力線が働いて、太陽電池からこのテザーへ電流が流れると、電動機(モータ)が回るのと同じ原理で、磁場のあるところに力が働く。太陽電池が健全な間は永久に発せられるこの力を利用して、衛星間を結ぶシステムや、地球と衛星を結ぶエレベーターなどを創造する。 そういうのを今年の出発点にしようとしています。 そういうのは確かに大きな夢ではあります。それほど大きいものではなく、今の社会、地球に生息する全生物にとってもっと楽しい場所にする。 たとえばいろいろなお祭りをつくる、そうするとこれには必ず環境問題が絡んでくるので、環境に優しいイベントを創造することの意義は大きいわけです。

一方、商品でいえば、発展途上国の商品は労働賃金が安いので、商品価格は安いけれどCO2が沢山くっついているものを買うのか、そういう商品を買わなくなれば生産国もCO2のくっつき方を減らすことを考えていかないと売れなくなる。こうした循環を世界の若者同士が話し合い、科学技術を協力し合って発展させ、政策的にもクリーンな世界を構築してもらうよう若い人に期待する。世界を住み良くするために若い人に頑張ってもらいたいと思います。

岩倉:  冒頭に縁という言葉を申し上げました。英語では「チャンス」などと訳されますが、中々相応しい単語が見つかりません。が、最近、「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉をよく耳にします。これは、「何か」を一生懸命探し求めていたら、ふと、思いもよらない物や事に出くわす、ということなんだそうで、ものづくりやデザインをする人間にとって、大事なことかと思っています。

最近のニュースで知ったのですが、日本とアメリカを合わせた自動車の生産台数が、BRIC (ブラジル、ロシヤ、インド、中国) 諸国のトータルに追い越されたのだそうです。これは、小口先生の言われるCO2をいっぱい撒き散らすところ、すなわち人口の多い国の人々が大勢、車に乗るようになったということです。

ホンダを辞めたころ、世界の人口が60億人で、6億台の自動車が走っている状況で、世界の10人に1人が車を持っていました。今は、人口は68億人、走っている車の台数は8億8千万台と言われています。今は8人に1台、生産台数はますます増えています。理由は、自動車が魅力的だからということ。多くの人が欲しがるということは、とりもなおさずCO2が一杯出てくるということで、これに対応する技術は、日本が世界に先駆けて持っています。

しかし、こうした技術だけではCO2問題は解決しません。文化のレベル、すなわち「美しい」とか「楽しい」とか、数字で言えない世界と科学技術が両輪となっていかないと、この大きな問題を解決できないと思います。ホンダから美大に行って分かったことです。芸術・文化という人の心に関わるところの大事さを学びました。

私は渋谷という街は、この両輪を持っているところだと思っています。文明的にすごく進んだ街として若者が興味を持つのは当然ですが、反面、非常に文化的な側面がある街だからこそ、安らぎを求めて集まってくるのだと思うのです。ある目標を持って何かをやる場合、文明的、文化的の両輪を併せ持ってやるということが重要になってきます。その時にこそ、デザィナーの活躍が期待されます。すなわち、文明と文化の橋渡しをするのがデザイナーでありますから、今日プレゼンテーションをさせてもらったような若いデザイナーたちを、大いに活用していただければと思っています。

塚本: こんな素晴らしいパネリストの皆様とご一緒させていただけましたが、これは小澤先生とのご縁ということで、森林塾に入ったことが始まりです。

当時高知県で森林関係の仕事をしていましたが、いろいろな情報も欲しいし、多くの経験を積まれた方のお話も聞きたいということで森林塾に高知から通わせてもらいました。森林に関する官庁に勤務するものとして、カーボンオフセットのプロジェクトに携わるようになるなど、こんな時代がこんなに早く来るとはと驚いております。今後とも地球環境や森林問題に取り組んで参りたいと考えています。

小澤: 行政の中では縦割り構造の中にいたわけですが、心がけていたことは横のパイプを通すことでありました。現在もその努力は続けている積りであり、今後も頑張って参りたいと思います。

また、実践活動については各地の動きを応援したいと考えています。

今回のシンポジウムも多摩美大の活動や御殿場の関田さんの活動が紹介されました。また今回の参加者の中にも私が承知している方では、埼玉大の横尾教授は木の芸術作品づくりを学生さんとともにおやりになっていますし、ウッドプラスティックの開発に取り組んでおられる佐久間さんもおられます。

全国各地で、一人でも多くの方々が、具体的な活動あるいはエコライフの実践に取り組まれることによって、温暖化防止へのチャレンジが実を結ぶことになると信じております。

藤田: それでは、閉会に際しまして、小澤代表よりパネリストの先生方に記念品の贈呈をお願いします。

先生方に拍手をお願いします。

以上をもちまして、森林環境協働ネットワークシンポジウムを閉会いたします。

出口でアンケートを回収しておりますのでそちらもご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

お帰りの際は、お忘れ物のないようお気をつけてお帰りくださいますよう、お願い申し上げます。

本日は、最後までご参加頂きまことにありがとうございました。


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