森協シンポ基調講演・究極のグリーンエネルギー時代とは(小口幸成氏)


平成21年8月1日開催の森協ネット3周年記念シンポジウムの内容を先に公開しましたが、長文になりましたので、そのうちの基調講演「究極のグリーンエネルギー時代とは」につきましては、このページでもご覧いただけるようにしました。
なお、当日、資料につきましては講演者のご厚意により参加者に配布するとともにパワーポイントにより、会場の皆様にご覧いただきましたが、今回講演の小口先生からpdf資料のご提供がありましたので本ページに掲示しております。

pdf資料をご覧になる方はここをクリックしてください。

司会者から小口先生のご紹介: 本日の基調講演は、「究極のグリーンエネルギー時代とは」と題しまして、神奈川工科大学の前学長でいらっしゃいます小口幸成(おぐちこうせい)先生にお願いしております。

小口先生は、1970年に慶應義塾大学の助手に就任され、以来、神奈川工科大学で、前身である幾徳工業大学時代を含め、助教授・教授を歴任し、研究・指導にあたってこられました。2005年には神奈川工科大学の学長に就任され、今年3月に任期満了で退任された後も、名誉教授として活躍されておられます。また、学校法人鷗友学園の理事長としても学校教育の場で広く活躍されていらっしゃいます。
専門は熱物性ということで、熱物性とは、温度や圧力の変化に伴い分子相互の関係が変化し、物質の性質が変化することを研究する学問分野だそうです。
 本日は、エンジニアとしての立場から、また教育者としてのお立場から、温暖化問題への対策についてご講演をいただきます。
(以下小口先生の講演となります。)

ご紹介いただきました小口です。

今日は、「究極のグリーンエネルギー時代とは」というお題を小澤先生からいただきましたので、なるべくテーマに沿ってお話したいと思います。配布資料を用意いたしましたが、(本日の)スライドとは一部異なっていますので、予めご諒承ください。基調講演として90分をいただきましたが、昼食後ですから、眠くなりましたら居眠りしてください。大学でなれていますから、無理に起こしたりいたしません。

先ず、温暖化というのはCO2だけではありません。われわれのいろいろな活動、たとえば電気を使うというようなことを含め、重油の使用料に換算してそこからCO2量を求めたりしますので、必ずしもそれがすべて直接的にCO2ということではありません。

また温暖化防止には私の専門の一つであるフロンやまた森林が果たす役割を正しく知ることも重要でありましょう。ただ誰がこの温暖化を解決していくかというと、当然、あとに続く若い人たちがそれを改善していかなければいけないわけです。もちろん、若い人ばかりでなく世界中の全員一人ひとりが改善していかなければなりません。

私は、アメリカでの研究生活を終わって帰国したころ、丁度ドクターコースの学生になったころですが、工業用動作流体として新しいフロン類で共沸混合物質が提案され、実用化に必要な研究が要望されていました。私は、それ以来、40年以上にわたって実用化のための基礎研究を継続してきましたが、漸く風向きが変わってきました。たとえば、これらの基礎研究の成果が整ってきたことから、南極のオゾンホールについては、オゾン層を破壊していた物質を生産しないように、また使用しないように、IEAの部会で決定することが可能になり、その結果オゾンホールがようやくリカバーされる徴候が現れてきています。こうなるまでには、地球環境の改善のために30年も40年もかかるということです。したがって温暖化を改善するのもそう簡単ではありません。

今後の国際問題を考えても、日本がグローバルに貢献するためには、日本の少子化問題という社会問題が最も大きな問題であると思います。いま4年制大学に入学する若者は年間約61万人。18歳人口が約120万人であるから、50%が大学に進学しています。理工学系の入学生数は、その約25%ですから、約15万人です。最近の出生数が約110万人ですが、2050年には出生数が約70万人になると予想されています。70万人の出生数で、61万人の大学入学者数がとれますか?15万人の理工学進学者数が確保できるでしょうか?という問題があり、温暖化対策についても、科学技術者の継続的貢献が保持できるかどうかが大きな問題となっています。

さて、本日の講演は、先ず「人類に地球の限界を気付かせた経緯」、二番目に「改善に向かわせる努力」、三番目が「グリーンエネルギーの現状」、そして最後に「今後への期待」という順序で話しましょう。

先ず「人類に地球の限界を気付かせた経緯」についてですが、これは「省エネルギーと環境問題」がありました。環境問題は、「多様化した環境問題」、「住環境」、「地域環境(公害)」、「地球環境」などになります。

われわれが普通「地球環境問題」と言っている問題は今後避けて通れない重大な問題なのです。現在地球平均温度が上昇しているという徴候が出ているのです。後からでは対策を講じても間に合わない問題だという受け止め方をしなければならないのです。また、経済成長をしつつ地球環境保全に努める方法としてISO14001もありますが、この実用化に対する問題も出てきています。現在のエネルギー資源が使用できなくなったときの方策があるでしょうか。原子力、あるいは地球に来ていない太陽エネルギーを宇宙から持ってこようという構想もあります。そういう研究も日米の間で進んでいます。また環境問題が人口問題、食糧問題、エネルギー問題等に与える影響が非常に大きいのです。

(地球温暖化について)そういう状態の中で、地球温暖化というのは、後で気が付いても取り返しがつかないというところが重要なのです。これが一番大きい問題であると思います。何で温暖化するのかについてはいろいろな考え方が出されています。しかし、今既に温暖化に向かっていると認識して対策を講じないと遅れを取ることになります。精一杯やったけど駄目だったというのは人間にとってはどうにもならないことで諦めも付くでしょう。しかし、今は化石燃料の大量利用によって温暖化ガスなどが大量に出ている訳ですから、それが気象変動などに影響を与えているということで、平均気温が何℃上がるというようなことは大変重要な問題なのです。例えば、今後100年間に地球の平均気温が約2℃上昇すると、東京の平均気温は今の鹿児島の平均気温になるのです。

(オゾン層破壊について)次にオゾン層の破壊ですが、オゾン層があることによって宇宙からの有害紫外線を生物の生活圏には届かないように食い止めてくれているわけです。したがってオゾン層を守っていかなければならないのですが、その原因はフロン以外にもあります。しかし、フロンにしか規制がないことが問題なのです。1930年代にクルオロフルオロカーボンという高温で化学的に安定な優れた冷媒をデュポン社が開発生産し1939年から実用されていました。それまではアンモニアなど毒性のある有害な冷媒が冷凍空調の熱媒体として使用されていました。フロンには種類によりますが、毒性がほとんどありません。これが第二次世界大戦中に世界中で生産れて広まりました。その結果、化学的にも安定で優れた性質を持っているフロンが成層圏まで上昇し、紫外線によってフロンから分解された塩素Clと成層圏のオゾン(O3)が反応して塩素ラディカルClOを構成し、オゾンO3が酸素O2になってしまい大量のオゾンが破壊され、オゾンホールができるようになったのです。塩素Cl一個で数万個くらいのオゾンがなくなります。

南極にオゾンホールができていることを昭和基地で初めて発見したのですが、その後こうした現象が明らかになりました。

(酸性雨・水質汚濁)それから酸性雨、水質汚濁というような国境を越えた問題でありながら責任を取りにくい問題でありまして、特に、ヨーロッパの北海では船から廃油を垂れ流したり、ヨーロッパの各国を流れているライン川では汚染物質が流されて途中の国で汚染が発生したとしても、流れ下って末端のところで問題がおきたとしても責任を取りようがないのです。また、主として化石燃料の燃焼によって生じる大気汚染物質を含んだ酸性度の高い雨によって、陸水・土壌の酸性化により、植物性プランクトンや、魚類・森林などへ悪影響をもたらします。酸性度としてはpH5.6以下のものが酸性雨と呼ばれています。厳密には、湿性沈着(雨・霧・雪)、乾性沈着(ガス・エアロゾル)の両者を含んでいます。

(有害廃棄物の処理)越境汚染としては、自然の力では分解されないまま、生物にとって有害な廃棄物を処理するため越境移動することによって、環境が汚染されたり、原住民の健康に被害が及んだりします。

(大気汚染、海洋汚染)大気汚染、海洋汚染は生態系に影響を与えます。汚染物質が雨に溶解して、土に吸収され、植物性プランクトン・生態系に悪影響を与えます。生活排水、産業排水・排気、油、重金属などの汚染物質、環境ホルモン等が流れ込むため、赤潮・青潮が発生したり、大気・海洋が汚染されたり、自然生態系が影響を受けます。海洋の汚染源の7割が河川から流れ込む汚濁物です。

(野生動物の種の減少)別の観点からみると、野生動物が減ってきています。絶滅すると回復できないのです。一つの種がなくなるとバランスが壊れます。このことを米国五大湖の中の島で実験を行ったことがあります。その内容は、島に鹿を放ったのですが、鹿は天敵がいないので繁殖し、鹿は木の皮を食べますから木が枯れました。そこで、オオカミを放ったのですが、オオカミは鹿を食べたので、鹿は減少して木が枯れなくなったのですが、オオカミはすべての鹿を食べないのでオオカミと鹿と木の繁殖のバランスがとれたというものです。バランスが重要なのです。

(熱帯林の減少)熱帯林の減少、これは森林問題の代表的なことかも知れませんが,さらに食料生産,バイオ燃料生産等の人間活動からいろいろな問題が生じてきました。1980年から1990年には毎年154,000km2(日本国土面積の約40%)の熱帯林が減少しています。

(砂漠化)それから砂漠化の問題が起きていますが、私の母校の慶応大学では10年ほど前から中国で植林をして交流しています。小まめに植林をして砂漠化を食い止めようとする試みが、多くの団体で行われています。気温が上昇すると地面から空気中に蒸発する水分が増加します。気温の上昇により、空気中に蒸気が大量に溶け込めるのです。大量の水分を含んだ大気・雲が気圧配置による風の影響で、他の土地・海洋へ運ばれますから、元の土地の水分が減少します。すなわち、砂漠化を防ぐためには、元の土地に雨が降るようにしたいわけです。

(開発途上国の公害問題)一方途上国の公害は日本の二の舞をしているわけです。温暖化の原因を作ったのは経済大国であって、発展途上国のCO2は関係ないという考えのようですが、われわれは、日本の製品に比べて大量のCO2がくっ付いた製品を買っているわけです。そういうことを皆さん意識していますでしょうか。CO2がたくさんくっ付いている製品は例え安くても買わないとしたら、安いだけではなくCO2の少なくなる方法で生産してくると思います。

では発展途上国はどうやって生活を安定させれば良いのかという大きな問題に繋がっています。

さて我が国の地域的公害問題として代表されるのが、明治時代からの足尾銅山事件があります。

そのほか、日本は公害問題や公害訴訟などを経験して世界一の環境改善国になった、ということをこの三月まで東大学長であった小宮山先生が宣伝してくださっているわけでありますけれども、1610年に渡良瀬川の源流地帯に足尾鉱山が見つかって、採掘し、さらに明治期になって、西洋式の採鉱もとりいれ事業が拡大しましたが、そこで有害な金属の垂れ流しが起き、公害事件が発生したわけです。

さて日本ではオリンピックの成功を祈念して準備を開始した1960年代から、21世紀を前にしていろいろなことが議論されるようになりました。すなわち、「21世紀への階段」という本が中曽根康弘科学技術庁長官の時、つまり1960年ですが出版されました。

この時の40年先の展望は,原子力の世の中になる、オートメーション自動化の世の中になる、電子計算機、60歳壮年時代、ガンは滅びていません。成人病もなかなか、内蔵移植は進んできています。自動車、モノレールの時代等々ありますが、東京ー大阪1時間、これはまだです。最後に太陽エネルギー利用というのが入っています。

また,渋谷には春の小川があります。今は暗渠になっていますが、昔は黄色い花をつける河骨(こうほね) が咲いていたので河骨川といわれていました。つまり昔は自然が豊富であったということを念頭において話を進めたいと思います。

ところで環境問題が大きくなってきた流れを掴んでおく必要があります。イギリスの産業革命ということが良くいわれるわけですが、1770年くらいから1830年くらいまでが盛んでして、これによってロンドン近郊の森をはじめ森林を大いに伐採しました。ヨーロッパ人は木を植えるということを知らなかったので、みな牧場になってしまうわけですが、以後スモッグの発生、大洪水が発生しました。スモッグは霧のロンドンの代名詞となり、公害問題が起きました。1852年ロンドンでスモッグが大量に発生し、4千人が死亡しました。

さて温室効果については1896年から1900年頃、アレニウスというスウェーデンの学者が発表したものですが、さらに40年ほどしてカレンダーというイギリスの学者が、二酸化炭素が増加して温暖化が進むという警告を発しました。カレンダーさんという人は、水蒸気の蒸気表というものを作った有名な方で、これも私の専門の一つでありますが、これにより発電の効率化を図りました。

1954年にアメリカのビキニ環礁における水爆実験があり放射能雨など大気汚染が問題になって、1955年アメリカで大気清浄法ができ、また1956年にイギリスでも大気清浄法が制定されました。

その後、人口衛星の打ち上げがあり、人々の関心は大気から宇宙へと向かいました。

1957年から58年には、国際地球観測年ということになり、このころ日本では公害問題が発生しているわけです。

そして、この辺までは自動車の排気ガス、工場からの廃液、排ガスが問題になっていました。

1960年代になりまして、ラブロックというイギリスの学者が、いわゆるガスクロですが、気体を取りこんでその成文を分析していこうというガスクロマトグラフィーという大変高感度の分析装置を開発しまして、大気汚染測定を始めました。

1960年から測定を始めたわけですが、世界中の多くの場所で測定を行い、太平洋上の島でも測定しました。自動車も無い島で測定した結果、フロンが観測されました。

洋上の孤島でフロンが観測されたということは、世界のあらゆる場所でフロンンの影響が出ているのではないかということで衝撃的な出来事であったわけです。

1969年にウ・タント国連事務総長が重要なレポートを発表しました。

ラブロックさんが1970年に大気中のガスクロ分析結果をネーチャー誌に発表しました。すなわち沢山のフロンが大気中にあることがはっきりしたわけです。

そこで、デュポン社がラブロック教授らに依頼して対流圏の中でのフロンの挙動を調べようということになり、1972年に世界中のメーカーを集めて検討を重ねた結果、フロンは対流圏に蓄積されており、その量は北半球に多い、しかし、光化学スモッグの生成に関与しない。植物の成長に影響を与えることはない。というものでした。またフロンは紫外線に対して透明であり、少なくとも高度17km以下では光分解はしない。ということは、オゾン層まで行ってしまうということで、そこで紫外線を受けて分解をして塩素ができる。その塩素が、オゾンO3の酸素を一個取って、Clodという塩素ラディカルを作っては、また塩素に戻るという操作を始めているということが明らかになりました。

そして72年にアメリカでは、スペースシャトルの燃料として、塩素入りのものを使おうとしていたのですが、問題ありということになりました。

同じ年に、「成長の限界」という本がローマクラブから出版されました。私は環境エネルギー工学の講義をしていましたが、この本を学生にも勧めています。この本が世界中に火をつけることになりました。そして翌年,エネルギーショックが起きました。

1974年にオゾン層枯渇説に関する論文がローランド教授とモリナ博士により、ネーチャー誌に掲載されました。

1979年に第二次エネルギー危機が発生しました。

そこで「成長の限界」の発端は何であったかというと、これは1969年のウ・タント国連事務総長の発言です。すなわち「国連加盟国が古くからの係争を差し控え、軍拡競争の抑制、人間環境の改善、人口爆発の回避、および開発努力に必要な力の供与をめざして世界的な協力を開始するために残された年月は、おそらくあと十年しかない。もしもこのような世界的な協力が今後十年間のうちに進展しないならば、私が指摘した問題は驚くべき程度にまで深刻化し、われわれの制御能力をこえるにいたるであろう」ということです。

「成長の限界」に続いて、第2弾「限界を超えて」が1992年に出版、さらに第3弾「成長の限界」-人類の選択-が、日本では2005年に出版され、第4弾の計画もあるといわれています。

ほかに同じグループによる著書として、「地球のなおし方」が2005年に『「成長の限界からカブ・ヒル村へ』が2007年に出版されました。

1弾の内容は、資源、汚染防止策、農業生産、産児制限、技術政策など対策を行ったとして、人口、工業生産、汚染、食糧などの変化を試算したもので、条件の違いから安定化させた世界モデルを提案しています。

2弾「限界を超えて」では、メドウス氏自身が20年後に再計算したものであるが、基本的には第1弾出版当時と変わっていないこと、さらに汚染が厳しくなっていると結論しています。

3弾の「人類の選択」の第5章「オゾン層の物語に学ぶ:限界を超えてから引き返す知恵」が温暖化防止改善の参考になると紹介しています。

1979年10月にはまだオゾンホールはできていませんが、2007年10月の映像では、オゾンホールは南極大陸くらいの大きさになっています。

その後塩素を多く含んだフロンの使用と生産が中止され、CFC-11、CFC-12、CFC-113などの大気中濃度が減少し、そこでオゾンホールも南極大陸の2倍の面積で一応止まっているという感じです。スライドの色の違いはオゾンの濃度の違いを表しています。

さて、1939年デュポン社からアンモニアに替わる冷媒としてフッ素系炭化水素(商品名フレオン)が提案・実用化されたわけですが、1966年から私(注、小口幸成氏)が混合物の熱物性測定も可能な高精度実験装置を開発いたしまして、日本から多くのデータが発信され、冷凍空調工業界でフロンが使用できなくなってもそれにかわる代替フロンを使用して、設計・製造が可能になりまして、IEAを中心にようやく国際合意ができたわけであります。

私は、フッ素冷媒の研究を慶応義塾大学で13年間行い、その後、慶應義塾大学の後継者達が研究を継続し、神奈川工科大学でも研究を行い40年近い研究の賜と思っています。

現在は、主としてオゾン層を破壊しない冷媒の開発を目的とした新冷媒、混合冷媒が開発されており、温暖化係数の小さな冷媒が新たに開発されています。

冷媒を大気中に放出しなければ全く問題はないのですが、凍機・空調機の修理における冷媒充填時における残留冷媒の大気開放や、カーエアコンらの冷媒漏れなどにより、気負荷が大きくなっています。

EUでは主としてカーエアコン用フロン系冷媒の規制が行われるようになり、ドイツではCO2エアコンに切り替える方針を固め、米国、日本では新冷媒を検討中です。

フロンは温暖化係数がCO2の約1万倍といわれていますから、全体の量が少なくても温暖化には極めて大きな影響があるわけです。そのためEUでは強い関心を持っています。

一方,「改善に向かわせる努力」は、1990年以降、IPCCにより、国際的な理解の促進が図られています。

温暖化にはいろいろな要因がありますが、これらを認めた上で対応しなければ取り返しがつかない状況になってからでは,対応できないことが理解されてきています。

また,中国,インド,その他発展途上国は,CO2を多く含んだ製品を輸出しているといえます。製品にはCO2が付着していると考える時代が来るでしょう。

温室効果ガスの特徴,大気中の二酸化炭素濃度の推移,同じく経年変化,地球及び日本の年平均気温の変化などについてはスライドに示す通りです。

また、主要国のCO2排出割合では、国としては米、中が高く、一人当たり排出量では、米国が飛びぬけて高く、露、日、独、英が続いています。

石炭、石油など燃料別の世界のCO2排出量や日本の排出量の実態すなわち部門別や家庭からの排出の内訳、きゅうり1kgあたりの生産投入エネルギー量の内訳などについては図表を参照してください。

さてここで、温暖化に作用する熱量とは何かについて考えてみましょう。

すべてのエネルギーは保存されます。この法則により、最終的にはすべてのエネルギーは温暖化の熱量に変換されます。したがって大気への放熱熱量は、太陽熱以外に、石油などの燃焼熱量、自動車などの運動から変換された熱量、食糧から動物が取得した熱量などすべの熱量ということになります。

自然エネルギーを利用する場合の注意点を風力発電の例でお話しますと、風車を使用しない自然として、たとえば10kWのエネルギーがあるとすると、太陽エネルギーは風を起こしたり、森林を育てたり、山や森林からの水分の蒸発、海水の蒸発を行ったりといろいろなことをしています。人間が何もしなくても地球に降り注いでいます。ここで、10kWのうち5kWを風車として使ったとして、さらに2kWを電気に変えるとします。これは最終的には熱に変わってまた地球に作用します。ですから10kWの自然エネルギーの総量は変わりませんが、そのうちの一部を変換して、つまり電気に変えて仕事をしてもらうというふうに考えるわけです。

ところで、風車は風向きが変わったり、力が変わったりして、ベアリングや歯車が壊れたりします。これについて日本の技術が進んでおり、歯車の機能をベアリングで代替することも可能です。ただし、台風の力をカバーできません。秒速25mで停止させることになっています。ヨーロッパも同様です。ということで台風のエネルギーすべてを利用することはなかなか難しいことです。

最近の動向としては,日本カーボンアクションプラットフォーム(JCAP)が発足しました。本日は環境省でこの仕事を担当しておられる塚本先生がお見えですが、真正面から取り組んでいらっしゃいます。

去年第一回の会議があり,今年は日本中まわって十一か所で説明会を行い,CO2いくらで買いますよというお話を後でお伺いできると思います。

それから先週ですが「バイオ・フューエル・ワールド2009」というのがパシフィコ横浜で開催され、ここで日本のバイオ燃料の現状が報告されました。その一端を今日はお話したい。自動車用のバイオ燃料はどこまで来ているかといいますと、これはエタノールを混ぜるところまで来ています。日本はガソリンエンジンの場合、エタノール3%で、E3といっています。この程度ならエンジンの耐久性としては、まだ安全です。中国、オーストラリア、カナダはE5からE10、ブラジル、パラグワイはE20から25、アメリカ、ドイツ、フランス、ブラジル、タイはもうE85に行こうとしています。

つまり100%、E100を狙っています。2010年から2020年にはE85になるという方針で世界中が動いています。

バイオディーゼルは、シンガポールではカメリナのバイオディーゼル燃料が生産されています。

自動車燃料として難しいのは、どうしても液体燃料が必要になると言うことです。今世界中で約10億台の自動車が走っています。トヨタがハイブリッド車を170万台販売したそうですが、0.2%なのです。技術はあっても世界中中古車が走っている現状においては、液体燃料が必要ですから、バイオ燃料の開発が必要です。そこで緑が重要になります。日本の車両もE10までは、そのままで使えると言われています。神奈川工大では大学のバスにE10を使っています。

最近FFV車が良く売れていますが、これはガソリンでもE100でも使えるということです。

さてバイオディーゼルですが、ディーゼルエンジンというのはもともと落花生の油を燃料にして使うことをドイツ人のディーゼルさんが考えたものであります。
マン社とベンツ社が開発の研究費を提供したのですが,ディーゼルの死後、ベンツ社などは自分の社名をエンジン名にしようとしましたが、奥さんがエンジン開発に苦労したご主人の名を残して欲しいと嘆願してディーゼルエンジンという名が残ったという逸話があります。

原理としては、断熱圧縮による高温で燃焼できる燃料が使えるということです。ガソリンは揮発性なので逆に温度を適当なところまで下げる必要があります。ではなぜ落花生がガソリンに変わったかというと、当時ルーマニアで油田が発見されたことで石油が使われることになりました。したがって、ディーゼルエンジンはバイオ燃料用に開発されたのです。

燃料がバイオであればあるほど、植林が必要になります。もっと面積が欲しいということになります。ただし、今のところはバイオディーゼルにはいろいろな物質が混入しており燃料フィルター、インジェクションなどの目詰まりが起きたりするので最適とは言えないところがあります。

一方、現在のディーゼルエンジンは改良されてきていて、吸い込んだ空気より排気の方がきれいになっていると自慢されています。

いすゞ自動車等で分析した結果です。

おかしなもので、問題が提起されれば技術的な解決が行われるという循環が相変わらず行われています。

ということでどしどし改善提案、問題提案をすることが重要です。
さらに私が関心を持っているのが、航空機用のバイオ燃料の問題です。

車はガソリンスタンドで補給できますが航空機は到着地で用意してくれないと困るわけです。代々木公園は、昔は代々木練兵場といって、滑走路があり、日本ではじめて飛行機が飛んだところです。日本初飛行の碑が建っています。

ボーイング社の航空機用バイオ燃料プロジェクトには、4つの航空会社、4つの航空機エンジンメーカが参加しました。

航空機用バイオ燃料には、第一世代バイオ燃料、第二世代バイオ燃料があります。第一世代では、とうもろこし、大豆、サトウキビなどの食料を原料としたエタノールが使われましたが、第二世代ではカメリナ、ジャトロフア、藻類など非食用植物から生成されました。

これらの航空機燃料は50%がケロシンつまり灯油のようなもので、残りの分にエタノールのようなものを使った結果、性能には問題はなかったと報告されています。

今後はバイオジェット燃料の実用化に向けて課題が検討されます。

次に木炭バスですが、フランスで最初に考えられました。日本では大正末から研究が開始され、昭和十年代にはバス・トラックに使用されました。水分を含ませた木炭を不完全燃焼させ、COと水の水性ガス反応によって、燃焼します。現在は神奈川中央交通に三太号というのがあります。戦後のNHK子ども向け番組に「おらあ三太だ」というのがありました。その舞台が厚木から山中湖に向かう途中の道志村であったというところから、バスの名前として命名されました。これを大学の学園祭の時に持ってきて走らせていただいていますが、手入れをしなければいけませんが、現在も走っています。

今後への期待として、

CO2削減量の試算、②省エネルギー、代替エネルギー源の準備、③「CO2」と「熱量」について「地球の限界」はいくらか、④無駄を廃した愉快な暮らし方の模索、⑤経済効果に温暖化寄与度を併せて検討する、⑥日本の人口、世界の人口の最適値を検討、⑦少子化を食い止めるための対策、⑧日本が必要とする専門家の分布を試算(技術者、経済学者、文学者など)

を明らかにしていくことです。

CO2削減目標をスライドにあるように各都道府県が宣言しています。目標年度まで目標値を達成できるか、近く成果が分かります。2010年を目標にしている都道府県が最も多いので、来年度の状況で今後の対策が分かるでしょう。同様に、自然エネルギー目標もスライドにあるように各都道府県から提案されています。省エネルギーセンターもスマートライフを提案して、省エネナビIT対応型構想を推奨していました。

次にCO2を森林に吸収させるという話があります。神奈川工大で、3年次の私のセミナーの学生と研究しました。

人生80年として、一人の人間が一生の間に排出するCO2を徹底的に試算し、その全CO2を杉の木に吸収させるとして、非常に細かく分析したところ一人当たり約200本の木を育て続ける必要があるという結論が出ました。200本の杉の木を植える庭をお持ちですか?自分の努力でできる範囲にCO2を削減するとして、どういう生活が可能か、学生と考えたものです。最も大きなCO2の排出量は、自家用車通勤と住宅建設であり、生活改善によって削減可能な方策を策定できると考えられます。

さて、今後への期待ということになりますが、CO2と熱量の地球への限界というものを知って次の世代に受け渡さなければいけない。

そこでCO2の削減目標を都道府県で出していますが、渋谷区も是非出すべきだと思います。特に若者の街と言われているところで、削減計画を決定し、渋谷の街に公開して若者にアピールすることは、将来に向けた取り組みとして大変重要です。

各都道府県のCO2の削減計画ですが、目標年が2010年というのもあって来年にその結果がどう出るか楽しいですね。神奈川県はゼロパーセント、福岡県が詳細に提案していて素晴らしいです。家庭一世帯当たりいくら、事業所、自動車一台当たりいくらという具合に具体的です。

自然エネルギーについても都道府県の目標が出されています。

香川県が、風力、太陽光などに分けて目標を示しています。

次は省エネルギーセンターで提案していたスマートライフですが、家庭から地域へ、地域から国全体へと、省エネナビIT型構想でエネルギー活用の全体把握構想がありました。

問題提起ですが、これまで何か問題が起きると、科学技術でそれを解決してきました。現在の環境問題も科学技術で解決しようとしています。それが正しい判断か、他に方法があるか考えれば、やはり科学技術によって新たな展開を期待することになるのではないでしょうか?

地球環境問題、エネルギー問題を引き起こしたのは、技術開発によるのですから、この難題を再び科学技術で解決できるでしょうか?また解決していかなければならないのですが、21世紀の科学技術はどうなるかという議論も必要でありますし、また環境、資源、人口、食糧、工業生産のバランスを取りながら、どんな繁栄が考えられるでしょうか。そこで大きな問題は日本人の出生数です。現在、丙午当時より出生数は少なくなっていて、予想図で見ると、2050年で70万人以下に低下すると予想されています。

このスライドは、日本の大学の中で、学部別の学生総数分布を示していますが、社会科学が一番多く、次が人文科学で、その後に工学、理学と続いています。

果たして科学技術で地球改善が果たせるか。男女共同参画社会といって法律が施行されて今年は10周年ですが、2008年度の入学者数は、男女別でみると、社会科学は男性が圧倒的に多い。工学部系より商学部系の方が、男性数が多いのです。

女性は人文科学系が多いのですが、社会科学系も多い。70万人の時代になると女性に助けてもらわなくては駄目なのですが、理工系には女性が圧倒的に少ないのです。

なお、女性は研究者を希望する人が多いのですが、研究開発すなわちエンジニアを目指してもらいたいと願っています。

神奈川工科大学は「Stop the CO2」を旗印に多くの学生が何かをしたいと集まってきていますが、これを「Save the Earth」とすることが肝要です。しかもこれを若者がやることが肝心なのです。ということで若者の街渋谷区が温暖化防止計画を作り、カーボンオフセットパスポートを実現していただきたい。

既にある渋谷区基本構想の中に位置づけるべきではないかと思います。

「後世への最大遺物」という内村鑑三の書の中の一節を紹介いたします。

「しかるに今われわれは世界というこの学校を去りまするときに、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その点からいうとやはり私には千載青史に列するを得んという望みが残っている。私は何かこの地球にMementoを置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして逝きたいです。この世の中にわれわれのMementoを遺して逝きたいです。有名なる天文学者のハーシャルが二十歳ばかりのときに彼の友人に語って『わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか』というた。

実に美しい青年の希望ではありませんか。『この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして往こうではないか』と。

こういうことをこの本には書いてあります。是非われわれは、少しずつでも努力してこの環境を良くするため皆さんと協力して進んでまいりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。(拍手)


トップページへ トピックスのページへ

(以下小口先生の講演となります。)

ご紹介いただきました小口です。

今日は、「究極のグリーンエネルギー時代とは」というお題を小澤先生からいただきましたので、なるべくテーマに沿ってお話したいと思います。配布資料を用意いたしましたが、(本日の)スライドとは一部異なっていますので、予めご諒承ください。基調講演として90分をいただきましたが、昼食後ですから、眠くなりましたら居眠りしてください。大学でなれていますから、無理に起こしたりいたしません。

先ず、温暖化というのはCO2だけではありません。われわれのいろいろな活動、たとえば電気を使うというようなことを含め、重油の使用料に換算してそこからCO2量を求めたりしますので、必ずしもそれがすべて直接的にCO2ということではありません。

また温暖化防止には私の専門の一つであるフロンやまた森林が果たす役割を正しく知ることも重要でありましょう。ただ誰がこの温暖化を解決していくかというと、当然、あとに続く若い人たちがそれを改善していかなければいけないわけです。もちろん、若い人ばかりでなく世界中の全員一人ひとりが改善していかなければなりません。

私は、アメリカでの研究生活を終わって帰国したころ、丁度ドクターコースの学生になったころですが、工業用動作流体として新しいフロン類で共沸混合物質が提案され、実用化に必要な研究が要望されていました。私は、それ以来、40年以上にわたって実用化のための基礎研究を継続してきましたが、漸く風向きが変わってきました。たとえば、これらの基礎研究の成果が整ってきたことから、南極のオゾンホールについては、オゾン層を破壊していた物質を生産しないように、また使用しないように、IEAの部会で決定することが可能になり、その結果オゾンホールがようやくリカバーされる徴候が現れてきています。こうなるまでには、地球環境の改善のために30年も40年もかかるということです。したがって温暖化を改善するのもそう簡単ではありません。

今後の国際問題を考えても、日本がグローバルに貢献するためには、日本の少子化問題という社会問題が最も大きな問題であると思います。いま4年制大学に入学する若者は年間約61万人。18歳人口が約120万人であるから、50%が大学に進学しています。理工学系の入学生数は、その約25%ですから、約15万人です。最近の出生数が約110万人ですが、2050年には出生数が約70万人になると予想されています。70万人の出生数で、61万人の大学入学者数がとれますか?15万人の理工学進学者数が確保できるでしょうか?という問題があり、温暖化対策についても、科学技術者の継続的貢献が保持できるかどうかが大きな問題となっています。

さて、本日の講演は、先ず「人類に地球の限界を気付かせた経緯」、二番目に「改善に向かわせる努力」、三番目が「グリーンエネルギーの現状」、そして最後に「今後への期待」という順序で話しましょう。

先ず「人類に地球の限界を気付かせた経緯」についてですが、これは「省エネルギーと環境問題」がありました。環境問題は、「多様化した環境問題」、「住環境」、「地域環境(公害)」、「地球環境」などになります。

われわれが普通「地球環境問題」と言っている問題は今後避けて通れない重大な問題なのです。現在地球平均温度が上昇しているという徴候が出ているのです。後からでは対策を講じても間に合わない問題だという受け止め方をしなければならないのです。また、経済成長をしつつ地球環境保全に努める方法としてISO14001もありますが、この実用化に対する問題も出てきています。現在のエネルギー資源が使用できなくなったときの方策があるでしょうか。原子力、あるいは地球に来ていない太陽エネルギーを宇宙から持ってこようという構想もあります。そういう研究も日米の間で進んでいます。また環境問題が人口問題、食糧問題、エネルギー問題等に与える影響が非常に大きいのです。

(地球温暖化について)そういう状態の中で、地球温暖化というのは、後で気が付いても取り返しがつかないというところが重要なのです。これが一番大きい問題であると思います。何で温暖化するのかについてはいろいろな考え方が出されています。しかし、今既に温暖化に向かっていると認識して対策を講じないと遅れを取ることになります。精一杯やったけど駄目だったというのは人間にとってはどうにもならないことで諦めも付くでしょう。しかし、今は化石燃料の大量利用によって温暖化ガスなどが大量に出ている訳ですから、それが気象変動などに影響を与えているということで、平均気温が何℃上がるというようなことは大変重要な問題なのです。例えば、今後100年間に地球の平均気温が約2℃上昇すると、東京の平均気温は今の鹿児島の平均気温になるのです。

(オゾン層破壊について)次にオゾン層の破壊ですが、オゾン層があることによって宇宙からの有害紫外線を生物の生活圏には届かないように食い止めてくれているわけです。したがってオゾン層を守っていかなければならないのですが、その原因はフロン以外にもあります。しかし、フロンにしか規制がないことが問題なのです。1930年代にクルオロフルオロカーボンという高温で化学的に安定な優れた冷媒をデュポン社が開発生産し1939年から実用されていました。それまではアンモニアなど毒性のある有害な冷媒が冷凍空調の熱媒体として使用されていました。フロンには種類によりますが、毒性がほとんどありません。これが第二次世界大戦中に世界中で生産れて広まりました。その結果、化学的にも安定で優れた性質を持っているフロンが成層圏まで上昇し、紫外線によってフロンから分解された塩素Clと成層圏のオゾン(O3)が反応して塩素ラディカルClOを構成し、オゾンO3が酸素O2になってしまい大量のオゾンが破壊され、オゾンホールができるようになったのです。塩素Cl一個で数万個くらいのオゾンがなくなります。

南極にオゾンホールができていることを昭和基地で初めて発見したのですが、その後こうした現象が明らかになりました。

(酸性雨・水質汚濁)それから酸性雨、水質汚濁というような国境を越えた問題でありながら責任を取りにくい問題でありまして、特に、ヨーロッパの北海では船から廃油を垂れ流したり、ヨーロッパの各国を流れているライン川では汚染物質が流されて途中の国で汚染が発生したとしても、流れ下って末端のところで問題がおきたとしても責任を取りようがないのです。また、主として化石燃料の燃焼によって生じる大気汚染物質を含んだ酸性度の高い雨によって、陸水・土壌の酸性化により、植物性プランクトンや、魚類・森林などへ悪影響をもたらします。酸性度としてはpH5.6以下のものが酸性雨と呼ばれています。厳密には、湿性沈着(雨・霧・雪)、乾性沈着(ガス・エアロゾル)の両者を含んでいます。

(有害廃棄物の処理)越境汚染としては、自然の力では分解されないまま、生物にとって有害な廃棄物を処理するため越境移動することによって、環境が汚染されたり、原住民の健康に被害が及んだりします。

(大気汚染、海洋汚染)大気汚染、海洋汚染は生態系に影響を与えます。汚染物質が雨に溶解して、土に吸収され、植物性プランクトン・生態系に悪影響を与えます。生活排水、産業排水・排気、油、重金属などの汚染物質、環境ホルモン等が流れ込むため、赤潮・青潮が発生したり、大気・海洋が汚染されたり、自然生態系が影響を受けます。海洋の汚染源の7割が河川から流れ込む汚濁物です。

(野生動物の種の減少)別の観点からみると、野生動物が減ってきています。絶滅すると回復できないのです。一つの種がなくなるとバランスが壊れます。このことを米国五大湖の中の島で実験を行ったことがあります。その内容は、島に鹿を放ったのですが、鹿は天敵がいないので繁殖し、鹿は木の皮を食べますから木が枯れました。そこで、オオカミを放ったのですが、オオカミは鹿を食べたので、鹿は減少して木が枯れなくなったのですが、オオカミはすべての鹿を食べないのでオオカミと鹿と木の繁殖のバランスがとれたというものです。バランスが重要なのです。

(熱帯林の減少)熱帯林の減少、これは森林問題の代表的なことかも知れませんが,さらに食料生産,バイオ燃料生産等の人間活動からいろいろな問題が生じてきました。1980年から1990年には毎年154,000km2(日本国土面積の約40%)の熱帯林が減少しています。

(砂漠化)それから砂漠化の問題が起きていますが、私の母校の慶応大学では10年ほど前から中国で植林をして交流しています。小まめに植林をして砂漠化を食い止めようとする試みが、多くの団体で行われています。気温が上昇すると地面から空気中に蒸発する水分が増加します。気温の上昇により、空気中に蒸気が大量に溶け込めるのです。大量の水分を含んだ大気・雲が気圧配置による風の影響で、他の土地・海洋へ運ばれますから、元の土地の水分が減少します。すなわち、砂漠化を防ぐためには、元の土地に雨が降るようにしたいわけです。

(開発途上国の公害問題)一方途上国の公害は日本の二の舞をしているわけです。温暖化の原因を作ったのは経済大国であって、発展途上国のCO2は関係ないという考えのようですが、われわれは、日本の製品に比べて大量のCO2がくっ付いた製品を買っているわけです。そういうことを皆さん意識していますでしょうか。CO2がたくさんくっ付いている製品は例え安くても買わないとしたら、安いだけではなくCO2の少なくなる方法で生産してくると思います。

では発展途上国はどうやって生活を安定させれば良いのかという大きな問題に繋がっています。

さて我が国の地域的公害問題として代表されるのが、明治時代からの足尾銅山事件があります。

そのほか、日本は公害問題や公害訴訟などを経験して世界一の環境改善国になった、ということをこの三月まで東大学長であった小宮山先生が宣伝してくださっているわけでありますけれども、1610年に渡良瀬川の源流地帯に足尾鉱山が見つかって、採掘し、さらに明治期になって、西洋式の採鉱もとりいれ事業が拡大しましたが、そこで有害な金属の垂れ流しが起き、公害事件が発生したわけです。

さて日本ではオリンピックの成功を祈念して準備を開始した1960年代から、21世紀を前にしていろいろなことが議論されるようになりました。すなわち、「21世紀への階段」という本が中曽根康弘科学技術庁長官の時、つまり1960年ですが出版されました。

この時の40年先の展望は,原子力の世の中になる、オートメーション自動化の世の中になる、電子計算機、60歳壮年時代、ガンは滅びていません。成人病もなかなか、内蔵移植は進んできています。自動車、モノレールの時代等々ありますが、東京ー大阪1時間、これはまだです。最後に太陽エネルギー利用というのが入っています。

また,渋谷には春の小川があります。今は暗渠になっていますが、昔は黄色い花をつける河骨(こうほね) が咲いていたので河骨川といわれていました。つまり昔は自然が豊富であったということを念頭において話を進めたいと思います。

ところで環境問題が大きくなってきた流れを掴んでおく必要があります。イギリスの産業革命ということが良くいわれるわけですが、1770年くらいから1830年くらいまでが盛んでして、これによってロンドン近郊の森をはじめ森林を大いに伐採しました。ヨーロッパ人は木を植えるということを知らなかったので、みな牧場になってしまうわけですが、以後スモッグの発生、大洪水が発生しました。スモッグは霧のロンドンの代名詞となり、公害問題が起きました。1852年ロンドンでスモッグが大量に発生し、4千人が死亡しました。

さて温室効果については1896年から1900年頃、アレニウスというスウェーデンの学者が発表したものですが、さらに40年ほどしてカレンダーというイギリスの学者が、二酸化炭素が増加して温暖化が進むという警告を発しました。カレンダーさんという人は、水蒸気の蒸気表というものを作った有名な方で、これも私の専門の一つでありますが、これにより発電の効率化を図りました。

1954年にアメリカのビキニ環礁における水爆実験があり放射能雨など大気汚染が問題になって、1955年アメリカで大気清浄法ができ、また1956年にイギリスでも大気清浄法が制定されました。

その後、人口衛星の打ち上げがあり、人々の関心は大気から宇宙へと向かいました。

1957年から58年には、国際地球観測年ということになり、このころ日本では公害問題が発生しているわけです。

そして、この辺までは自動車の排気ガス、工場からの廃液、排ガスが問題になっていました。

1960年代になりまして、ラブロックというイギリスの学者が、いわゆるガスクロですが、気体を取りこんでその成文を分析していこうというガスクロマトグラフィーという大変高感度の分析装置を開発しまして、大気汚染測定を始めました。

1960年から測定を始めたわけですが、世界中の多くの場所で測定を行い、太平洋上の島でも測定しました。自動車も無い島で測定した結果、フロンが観測されました。

洋上の孤島でフロンが観測されたということは、世界のあらゆる場所でフロンンの影響が出ているのではないかということで衝撃的な出来事であったわけです。

1969年にウ・タント国連事務総長が重要なレポートを発表しました。

ラブロックさんが1970年に大気中のガスクロ分析結果をネーチャー誌に発表しました。すなわち沢山のフロンが大気中にあることがはっきりしたわけです。

そこで、デュポン社がラブロック教授らに依頼して対流圏の中でのフロンの挙動を調べようということになり、1972年に世界中のメーカーを集めて検討を重ねた結果、フロンは対流圏に蓄積されており、その量は北半球に多い、しかし、光化学スモッグの生成に関与しない。植物の成長に影響を与えることはない。というものでした。またフロンは紫外線に対して透明であり、少なくとも高度17km以下では光分解はしない。ということは、オゾン層まで行ってしまうということで、そこで紫外線を受けて分解をして塩素ができる。その塩素が、オゾンO3の酸素を一個取って、Clodという塩素ラディカルを作っては、また塩素に戻るという操作を始めているということが明らかになりました。

そして72年にアメリカでは、スペースシャトルの燃料として、塩素入りのものを使おうとしていたのですが、問題ありということになりました。

同じ年に、「成長の限界」という本がローマクラブから出版されました。私は環境エネルギー工学の講義をしていましたが、この本を学生にも勧めています。この本が世界中に火をつけることになりました。そして翌年,エネルギーショックが起きました。

1974年にオゾン層枯渇説に関する論文がローランド教授とモリナ博士により、ネーチャー誌に掲載されました。

1979年に第二次エネルギー危機が発生しました。

そこで「成長の限界」の発端は何であったかというと、これは1969年のウ・タント国連事務総長の発言です。すなわち「国連加盟国が古くからの係争を差し控え、軍拡競争の抑制、人間環境の改善、人口爆発の回避、および開発努力に必要な力の供与をめざして世界的な協力を開始するために残された年月は、おそらくあと十年しかない。もしもこのような世界的な協力が今後十年間のうちに進展しないならば、私が指摘した問題は驚くべき程度にまで深刻化し、われわれの制御能力をこえるにいたるであろう」ということです。

「成長の限界」に続いて、第2弾「限界を超えて」が1992年に出版、さらに第3弾「成長の限界」-人類の選択-が、日本では2005年に出版され、第4弾の計画もあるといわれています。

ほかに同じグループによる著書として、「地球のなおし方」が2005年に『「成長の限界からカブ・ヒル村へ』が2007年に出版されました。

1弾の内容は、資源、汚染防止策、農業生産、産児制限、技術政策など対策を行ったとして、人口、工業生産、汚染、食糧などの変化を試算したもので、条件の違いから安定化させた世界モデルを提案しています。

2弾「限界を超えて」では、メドウス氏自身が20年後に再計算したものであるが、基本的には第1弾出版当時と変わっていないこと、さらに汚染が厳しくなっていると結論しています。

3弾の「人類の選択」の第5章「オゾン層の物語に学ぶ:限界を超えてから引き返す知恵」が温暖化防止改善の参考になると紹介しています。

1979年10月にはまだオゾンホールはできていませんが、2007年10月の映像では、オゾンホールは南極大陸くらいの大きさになっています。

その後塩素を多く含んだフロンの使用と生産が中止され、CFC-11、CFC-12、CFC-113などの大気中濃度が減少し、そこでオゾンホールも南極大陸の2倍の面積で一応止まっているという感じです。スライドの色の違いはオゾンの濃度の違いを表しています。

さて、1939年デュポン社からアンモニアに替わる冷媒としてフッ素系炭化水素(商品名フレオン)が提案・実用化されたわけですが、1966年から私(注、小口幸成氏)が混合物の熱物性測定も可能な高精度実験装置を開発いたしまして、日本から多くのデータが発信され、冷凍空調工業界でフロンが使用できなくなってもそれにかわる代替フロンを使用して、設計・製造が可能になりまして、IEAを中心にようやく国際合意ができたわけであります。

私は、フッ素冷媒の研究を慶応義塾大学で13年間行い、その後、慶應義塾大学の後継者達が研究を継続し、神奈川工科大学でも研究を行い40年近い研究の賜と思っています。

現在は、主としてオゾン層を破壊しない冷媒の開発を目的とした新冷媒、混合冷媒が開発されており、温暖化係数の小さな冷媒が新たに開発されています。

冷媒を大気中に放出しなければ全く問題はないのですが、凍機・空調機の修理における冷媒充填時における残留冷媒の大気開放や、カーエアコンらの冷媒漏れなどにより、気負荷が大きくなっています。

EUでは主としてカーエアコン用フロン系冷媒の規制が行われるようになり、ドイツではCO2エアコンに切り替える方針を固め、米国、日本では新冷媒を検討中です。

フロンは温暖化係数がCO2の約1万倍といわれていますから、全体の量が少なくても温暖化には極めて大きな影響があるわけです。そのためEUでは強い関心を持っています。

一方,「改善に向かわせる努力」は、1990年以降、IPCCにより、国際的な理解の促進が図られています。

温暖化にはいろいろな要因がありますが、これらを認めた上で対応しなければ取り返しがつかない状況になってからでは,対応できないことが理解されてきています。

また,中国,インド,その他発展途上国は,CO2を多く含んだ製品を輸出しているといえます。製品にはCO2が付着していると考える時代が来るでしょう。

温室効果ガスの特徴,大気中の二酸化炭素濃度の推移,同じく経年変化,地球及び日本の年平均気温の変化などについてはスライドに示す通りです。

また、主要国のCO2排出割合では、国としては米、中が高く、一人当たり排出量では、米国が飛びぬけて高く、露、日、独、英が続いています。

石炭、石油など燃料別の世界のCO2排出量や日本の排出量の実態すなわち部門別や家庭からの排出の内訳、きゅうり1kgあたりの生産投入エネルギー量の内訳などについては図表を参照してください。

さてここで、温暖化に作用する熱量とは何かについて考えてみましょう。

すべてのエネルギーは保存されます。この法則により、最終的にはすべてのエネルギーは温暖化の熱量に変換されます。したがって大気への放熱熱量は、太陽熱以外に、石油などの燃焼熱量、自動車などの運動から変換された熱量、食糧から動物が取得した熱量などすべの熱量ということになります。

自然エネルギーを利用する場合の注意点を風力発電の例でお話しますと、風車を使用しない自然として、たとえば10kWのエネルギーがあるとすると、太陽エネルギーは風を起こしたり、森林を育てたり、山や森林からの水分の蒸発、海水の蒸発を行ったりといろいろなことをしています。人間が何もしなくても地球に降り注いでいます。ここで、10kWのうち5kWを風車として使ったとして、さらに2kWを電気に変えるとします。これは最終的には熱に変わってまた地球に作用します。ですから10kWの自然エネルギーの総量は変わりませんが、そのうちの一部を変換して、つまり電気に変えて仕事をしてもらうというふうに考えるわけです。

ところで、風車は風向きが変わったり、力が変わったりして、ベアリングや歯車が壊れたりします。これについて日本の技術が進んでおり、歯車の機能をベアリングで代替することも可能です。ただし、台風の力をカバーできません。秒速25mで停止させることになっています。ヨーロッパも同様です。ということで台風のエネルギーすべてを利用することはなかなか難しいことです。

最近の動向としては,日本カーボンアクションプラットフォーム(JCAP)が発足しました。本日は環境省でこの仕事を担当しておられる塚本先生がお見えですが、真正面から取り組んでいらっしゃいます。

去年第一回の会議があり,今年は日本中まわって十一か所で説明会を行い,CO2いくらで買いますよというお話を後でお伺いできると思います。

それから先週ですが「バイオ・フューエル・ワールド2009」というのがパシフィコ横浜で開催され、ここで日本のバイオ燃料の現状が報告されました。その一端を今日はお話したい。自動車用のバイオ燃料はどこまで来ているかといいますと、これはエタノールを混ぜるところまで来ています。日本はガソリンエンジンの場合、エタノール3%で、E3といっています。この程度ならエンジンの耐久性としては、まだ安全です。中国、オーストラリア、カナダはE5からE10、ブラジル、パラグワイはE20から25、アメリカ、ドイツ、フランス、ブラジル、タイはもうE85に行こうとしています。

つまり100%、E100を狙っています。2010年から2020年にはE85になるという方針で世界中が動いています。

バイオディーゼルは、シンガポールではカメリナのバイオディーゼル燃料が生産されています。

自動車燃料として難しいのは、どうしても液体燃料が必要になると言うことです。今世界中で約10億台の自動車が走っています。トヨタがハイブリッド車を170万台販売したそうですが、0.2%なのです。技術はあっても世界中中古車が走っている現状においては、液体燃料が必要ですから、バイオ燃料の開発が必要です。そこで緑が重要になります。日本の車両もE10までは、そのままで使えると言われています。神奈川工大では大学のバスにE10を使っています。

最近FFV車が良く売れていますが、これはガソリンでもE100でも使えるということです。

さてバイオディーゼルですが、ディーゼルエンジンというのはもともと落花生の油を燃料にして使うことをドイツ人のディーゼルさんが考えたものであります。
マン社とベンツ社が開発の研究費を提供したのですが,ディーゼルの死後、ベンツ社などは自分の社名をエンジン名にしようとしましたが、奥さんがエンジン開発に苦労したご主人の名を残して欲しいと嘆願してディーゼルエンジンという名が残ったという逸話があります。

原理としては、断熱圧縮による高温で燃焼できる燃料が使えるということです。ガソリンは揮発性なので逆に温度を適当なところまで下げる必要があります。ではなぜ落花生がガソリンに変わったかというと、当時ルーマニアで油田が発見されたことで石油が使われることになりました。したがって、ディーゼルエンジンはバイオ燃料用に開発されたのです。

燃料がバイオであればあるほど、植林が必要になります。もっと面積が欲しいということになります。ただし、今のところはバイオディーゼルにはいろいろな物質が混入しており燃料フィルター、インジェクションなどの目詰まりが起きたりするので最適とは言えないところがあります。

一方、現在のディーゼルエンジンは改良されてきていて、吸い込んだ空気より排気の方がきれいになっていると自慢されています。

いすゞ自動車等で分析した結果です。

おかしなもので、問題が提起されれば技術的な解決が行われるという循環が相変わらず行われています。

ということでどしどし改善提案、問題提案をすることが重要です。
さらに私が関心を持っているのが、航空機用のバイオ燃料の問題です。

車はガソリンスタンドで補給できますが航空機は到着地で用意してくれないと困るわけです。代々木公園は、昔は代々木練兵場といって、滑走路があり、日本ではじめて飛行機が飛んだところです。日本初飛行の碑が建っています。

ボーイング社の航空機用バイオ燃料プロジェクトには、4つの航空会社、4つの航空機エンジンメーカが参加しました。

航空機用バイオ燃料には、第一世代バイオ燃料、第二世代バイオ燃料があります。第一世代では、とうもろこし、大豆、サトウキビなどの食料を原料としたエタノールが使われましたが、第二世代ではカメリナ、ジャトロフア、藻類など非食用植物から生成されました。

これらの航空機燃料は50%がケロシンつまり灯油のようなもので、残りの分にエタノールのようなものを使った結果、性能には問題はなかったと報告されています。

今後はバイオジェット燃料の実用化に向けて課題が検討されます。

次に木炭バスですが、フランスで最初に考えられました。日本では大正末から研究が開始され、昭和十年代にはバス・トラックに使用されました。水分を含ませた木炭を不完全燃焼させ、COと水の水性ガス反応によって、燃焼します。現在は神奈川中央交通に三太号というのがあります。戦後のNHK子ども向け番組に「おらあ三太だ」というのがありました。その舞台が厚木から山中湖に向かう途中の道志村であったというところから、バスの名前として命名されました。これを大学の学園祭の時に持ってきて走らせていただいていますが、手入れをしなければいけませんが、現在も走っています。

今後への期待として、

CO2削減量の試算、②省エネルギー、代替エネルギー源の準備、③「CO2」と「熱量」について「地球の限界」はいくらか、④無駄を廃した愉快な暮らし方の模索、⑤経済効果に温暖化寄与度を併せて検討する、⑥日本の人口、世界の人口の最適値を検討、⑦少子化を食い止めるための対策、⑧日本が必要とする専門家の分布を試算(技術者、経済学者、文学者など)

を明らかにしていくことです。

CO2削減目標をスライドにあるように各都道府県が宣言しています。目標年度まで目標値を達成できるか、近く成果が分かります。2010年を目標にしている都道府県が最も多いので、来年度の状況で今後の対策が分かるでしょう。同様に、自然エネルギー目標もスライドにあるように各都道府県から提案されています。省エネルギーセンターもスマートライフを提案して、省エネナビIT対応型構想を推奨していました。

次にCO2を森林に吸収させるという話があります。神奈川工大で、3年次の私のセミナーの学生と研究しました。

人生80年として、一人の人間が一生の間に排出するCO2を徹底的に試算し、その全CO2を杉の木に吸収させるとして、非常に細かく分析したところ一人当たり約200本の木を育て続ける必要があるという結論が出ました。200本の杉の木を植える庭をお持ちですか?自分の努力でできる範囲にCO2を削減するとして、どういう生活が可能か、学生と考えたものです。最も大きなCO2の排出量は、自家用車通勤と住宅建設であり、生活改善によって削減可能な方策を策定できると考えられます。

さて、今後への期待ということになりますが、CO2と熱量の地球への限界というものを知って次の世代に受け渡さなければいけない。

そこでCO2の削減目標を都道府県で出していますが、渋谷区も是非出すべきだと思います。特に若者の街と言われているところで、削減計画を決定し、渋谷の街に公開して若者にアピールすることは、将来に向けた取り組みとして大変重要です。

各都道府県のCO2の削減計画ですが、目標年が2010年というのもあって来年にその結果がどう出るか楽しいですね。神奈川県はゼロパーセント、福岡県が詳細に提案していて素晴らしいです。家庭一世帯当たりいくら、事業所、自動車一台当たりいくらという具合に具体的です。

自然エネルギーについても都道府県の目標が出されています。

香川県が、風力、太陽光などに分けて目標を示しています。

次は省エネルギーセンターで提案していたスマートライフですが、家庭から地域へ、地域から国全体へと、省エネナビIT型構想でエネルギー活用の全体把握構想がありました。

問題提起ですが、これまで何か問題が起きると、科学技術でそれを解決してきました。現在の環境問題も科学技術で解決しようとしています。それが正しい判断か、他に方法があるか考えれば、やはり科学技術によって新たな展開を期待することになるのではないでしょうか?

地球環境問題、エネルギー問題を引き起こしたのは、技術開発によるのですから、この難題を再び科学技術で解決できるでしょうか?また解決していかなければならないのですが、21世紀の科学技術はどうなるかという議論も必要でありますし、また環境、資源、人口、食糧、工業生産のバランスを取りながら、どんな繁栄が考えられるでしょうか。そこで大きな問題は日本人の出生数です。現在、丙午当時より出生数は少なくなっていて、予想図で見ると、2050年で70万人以下に低下すると予想されています。

このスライドは、日本の大学の中で、学部別の学生総数分布を示していますが、社会科学が一番多く、次が人文科学で、その後に工学、理学と続いています。

果たして科学技術で地球改善が果たせるか。男女共同参画社会といって法律が施行されて今年は10周年ですが、2008年度の入学者数は、男女別でみると、社会科学は男性が圧倒的に多い。工学部系より商学部系の方が、男性数が多いのです。

女性は人文科学系が多いのですが、社会科学系も多い。70万人の時代になると女性に助けてもらわなくては駄目なのですが、理工系には女性が圧倒的に少ないのです。

なお、女性は研究者を希望する人が多いのですが、研究開発すなわちエンジニアを目指してもらいたいと願っています。

神奈川工科大学は「Stop the CO2」を旗印に多くの学生が何かをしたいと集まってきていますが、これを「Save the Earth」とすることが肝要です。しかもこれを若者がやることが肝心なのです。ということで若者の街渋谷区が温暖化防止計画を作り、カーボンオフセットパスポートを実現していただきたい。

既にある渋谷区基本構想の中に位置づけるべきではないかと思います。

「後世への最大遺物」という内村鑑三の書の中の一節を紹介いたします。

「しかるに今われわれは世界というこの学校を去りまするときに、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その点からいうとやはり私には千載青史に列するを得んという望みが残っている。私は何かこの地球にMementoを置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして逝きたいです。この世の中にわれわれのMementoを遺して逝きたいです。有名なる天文学者のハーシャルが二十歳ばかりのときに彼の友人に語って『わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか』というた。

実に美しい青年の希望ではありませんか。『この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして往こうではないか』と。

こういうことをこの本には書いてあります。是非われわれは、少しずつでも努力してこの環境を良くするため皆さんと協力して進んでまいりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。(拍手)


トップページへ トピックスのページへ